ポストラグジュアリー 360度の風景


しかしながら、時間の流れは社会や文化を変え、ぼく自身も変えていきます。世界の潮流として、マッチョな文化は劣勢になりました。「イタリア人は猫舌だから、熱い汁に入っているラーメンなんか絶対流行らない」と言われたのに、温い汁のラーメンが人気になる。こうした変貌は衣食住、あらゆるところにあります。

何かが人々の感覚を変え、その変化がまた新しい文化風景をつくっていく。その人々と風景のなかで、ぼくだけが埒外ということはありません。 

日本のクラフトの評価が変わった?


先月、ヴェネツィアで開催された展覧会、ホモ・ファーベルに出かけ、このことをまた痛感しました。サンマルコ広場の対岸にあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ島全体を使って、スイスのラグジュアリーコングロマリット、リシュモンのオーナーが代表を務めるミケランジェロ財団がクラフトの祭典をおよそ3週間にわたって行いました。



2018年が1回目、パンデミックで延期になった今年は2回目です。各国から工房や職人が参加したのですが、今回、国際交流基金が協力しているため、日本のクラフトもそこかしこに目につきます。日本の職人の作品でなくても、日本の文化にヒントを得ているかもしれないと思う作品もあります。

そこで、ぼくはそれらの日本文化の香りがするモノに率直に「いいな」「美しいな」と思える経験をしました。数年前であれば、「このタイプのマーケットは小さすぎて難しい。ローカライズがもっと必要」「精神性ばかり強調して前のめり過ぎ」と思ったものです。

と言うのも、欧州の店舗やオンラインショップに並べてある日本発の商品は、「エスニック文化のカテゴリーのなかで、品質やデザインでも一番リスクが少ないから置いてある。実際に売れているわけではない」(ある有力なショップのトップ)という声をよく聞いていたからです。だが、ホモ・ファーベルでは、以前ほどの違和感を抱かなかったのです。



もちろん、キュレーターの仕事が良かったのがあるでしょう。あるいはミラノデザインウィークの展示ではないからかもしれません(ミラノデザインウィークは工芸品ではなく工業製品がメイン)。また、ぼくはパンデミックで2年以上、日本に行っていません。だから、自身の感覚が日本のモノだからと歓声をあげる欧州人のそれに近くなっているとも考えられます。

そうしたことを踏まえても、日本のアウトプットのテイストも微妙に変わり、欧州のコンテクストが変わり、日本のクラフトが評価されるスペースは広くなっていると思いました。分析的な意見ではなく直感ですから、追い風が強いとは断言できません。だが、逆風は弱まり、オリエンタリズムとのカテゴリーをやっと一歩越えられる潜在力を思いました。

文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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