Close RECOMMEND
<Forbes JAPAN定期購読会員の皆様へ> 決済システム変更にかかる決済情報再登録のお願い

Forbes JAPANが創造する、エグゼクティブクラスの新たなコミュニティ

アトム 代表取締役社長 青井茂

“価値観が違ったり、異質なもの同士が共存し、化学変化を起こす多様性こそが豊かさの源”――そうした哲学のもとに不動産やスタートアップへの投資を手がけるA-TOM(アトム)。青井茂代表取締役社長に、自らをドライブする情熱やインスピレーションの源泉について話を伺った。


街に“その間”だけのアートな風景をもたらすアートプロジェクト「ソノ アイダ」とは


──今日は「ソノ アイダ#新有楽町」にお伺いしています。丸の内の真ん中にあって、このギャラリーの存在は人目を引きますね。

アーティストの藤元明さんと共に企画しているプロジェクトですが、都心のど真ん中に、この異質な存在感を社会に問うための場所なので「おや、なんだろう?」と思っていただけると嬉しいですね。洗練された丸の内の風景の中で、違和感を覚える場所があるというだけで面白くありませんか(笑)?

──ニューヨークのミートパッキングエリアのような、クリエイティブな雰囲気がありますね。

多様性という考え方も含めて、こうした混在を認めてくれるような時代が来るといいなという期待と、現代の街づくりに一石を投じたいという想いからやっています。



「ソノ アイダ」というのは、取り壊し予定の建物や空き物件などを暫定的な空間メディアとして活用するアートプロジェクトとして、アーティストの藤元明さんが2015年に発案されたもので、アートによって街に刺激を、そして活力を与えるという実験的側面もあります。数ヶ月単位で滞在制作をするアーティストが入れ替わるので、空間もまたガラッと変わってきます。そうした新陳代謝のある空間としても面白がってもらえるといいですね。

──三菱地所とのコラボレーションプロジェクトということでも、インパクトがありました。

三菱地所さんのご協力にはとても感謝しています。日本を代表する大企業ですから、せっかくなので社員全員にいらしていただけると嬉しいですね。きっとビジネスのうえではもちろん、生きていくうえでのヒントももって帰ってもらえるはずなので。

ロジックを超えた価値を教えてくれたスポーツとアート


──ところで今日は、まずポートレイトを撮らせていただきましたが、いい体格をされていますね。スポーツはたしか、野球をされていたかと?

高校までずっと野球部でした。怪我をして、もう本気ではできなくなってしまいましたが、いまは草野球チームに入っていて、応援する方がメインです(笑)。「プロ野球チームのオーナーになるのが夢」なんて、人には面白おかしく話していますが。



──野球の魅力とは?

野球は自分がやってきたからですが、あのワーッ!と熱狂させるエネルギーがたまらない。野球も含めたスポーツ全般、そしてアートも人を熱狂させますよね。それって、ロジックじゃなくてなんなのだろう?と思っていて、国内外含めて出張の際に、スポーツの試合とアートのイベントに足を運んできました。

当社の本業である不動産賃貸という商売は、テナント様と当社の両者が経済合理性で妥結するという至ってシンプルな商売です。でもそれだけでやってしまうと、家賃が高いところには、経済的な価値を生むテナント様しか入れなくなってしまいます。必然的に、都市部は同じような生態系で街づくりがなされている現状があると感じています。そうなると、街に個性も魅力もなくなってしまいますよね。そこをどうするかを常に考えているんです。そうした時に、アートとかスポーツは別の次元、つまり情熱の部分の話ですから、すごく勉強になるんです。

──そのケーススタディ調査として、出張の機会に絡めて観に行くというのは、確かに素敵なアイディアですね。

もう3年以上先まで、観たいスポーツの試合とかアートイベントの予定が決まっていますから(笑)。

──それはすごい。生きる張り合いにもなりますね。

大人になると、いつからか人生がカウントダウンになってきますよね。とはいえ、誰だって将来を語る方が積極的になれるし、自分も周りも楽しいじゃないですか。だから僕は、予定表にこれからの楽しみの予定を打ち込んでいるんです。今年はカッセルでドクメンタとベニスでビエンナーレがあって、来年はワールドカップラグビーでフランスに行きたいとか。

──それが情熱の源なんですね。

僕はアスリートやアーティストに対する尊敬と憧れが本当に強いんです。ビジネスで言えば、たとえ僕が明日死んだとしても、この会社はちゃんと回っていくんです。でもアスリートとアーティストは、その人が死んだらそこでおしまい。それってすごくないですか?彼らのように人生をかけて、情熱を注いで一つのことに打ち込める力に勇気づけられるんです。例えば柔道の井上康生さんにしても、オリンピックに出たいと言って、小さい頃からすべてを擲って柔道に心血を注いでいるんですよ。そんなことってできますか?



──その尊敬の念が、ご自身も野球に打ち込んできたからこそ強いのですね。

素人の域を越えてはいませんが。僕は好奇心ばかりが強くて、あちこちに手を広げてきたから、彼らのように人生をぐっと深掘りすることができなかった。だからこそ、彼らの一本筋の通った生き様に憧れるし、それを話すのが好きなのでしょう。憧れの選手はたくさんいますが、例えばラグビーの大野均選手は高校まで野球部だったんです。なのに、日本代表歴代最多98キャップを保持していた。一体なんなんだ!?と衝撃を受けました。僕の中では、強いアスリートやアーティストに対する憧れが、自分の仕事を頑張っていくうえでの一番の動機になっているのかもしれませんね。

──青井社長は、富山県の人々が地域の魅力を再発見し、誇りに思い、自らの意思で世界中へ発信していく「地方覚醒」を目的としたまちづくり会社「TOYAMATO」を経営され、また富山のスポーツの未来に向け、県内プロスポーツチーム6団体によるジャンル横断のプロジェクトチーム「TOYAMA WHITE SHRIMPS」を運営されています。その根本にあるものも、やはりスポーツ愛なのでしょか?

田舎とか地方という言葉がありますが、特に高度経済成長期には大都市に対する憧れ症候群のようなものがありましたよね。その分、都会に住んでいない人たちは内に篭っていたような状況があったはずです。特に富山はかつて裏日本と呼ばれていて、そこに住む人たちも無意識下でコンプレックスを抱いていたと思うんです。でもそこにあったのは経済力や情報量の差だけであって、元々もっている魂というのは変わりがないんです。

僕は東京生まれですが、祖父のルーツが富山でしたし、何かで関わりをもちたいと思っていました。じゃあ富山の人たちが熱狂するものはなんなのか?と考えた時に、大きな駅ビルを建てるとかではなくて、彼らの情熱とプライドの受け皿になれる象徴的な存在として、スポーツチームがあればと考えたんです。それを取っ掛かりに、微力ながら「地方覚醒」の支援をさせていただいているという感じですね。

アメリカに始まった、学びと模索の職業人人生


──ところで、青井さんは最初、アメリカのサーフィンブランド「オニール」のプロジェクトに従事したと聞きました。

就職活動をするにはしたのですが、受ける学生側も採用する企業側も建前でしか話さないじゃないですか。なんだか嫌気が差して、いっそ海外に行こうと思ったんです。そうしたら、父親がオニールの創業者を紹介してくれて、アメリカ西海岸の片田舎に就職したというわけです。



──海外に住んで、どんな学びがありましたか?

実は当時、向こうでの暮らしに満足できなかったんです。豊かすぎるというか、ゆとりがありすぎて、22、3歳の自分には挑戦というか刺激が足りなく思えたんでしょうね(笑)。夕方4時にはもう事務所を出て、みんなでBBQしたりとか。話す内容も「今度ヨットでサンフランシスコまで一緒に行かないか?」とか、とにかくゆとりなんですね。

最初は楽しかったのですが、年末休みに帰国してみると、友だちの話は「プレゼンに勝って、こんな案件を取った」とか「評価されてボーナスがこんなに出た」とか、感覚が全然違うんです。「あれ?22歳の自分が本当にやるべきことはどっちなんだ?」と思い悩んだ挙句、結局早々に帰国して、第2新卒ということでデロイト トーマツ コンサルティングに入社しました。

いまになって、アメリカで体験したような豊かな生活のありがたみというものも分かるようになってきました。それを実現したくて、富山でやっているような街づくりとか情緒的価値といったところにこだわっているのだとすれば、無駄ではなかったのかなと思っています。

──競争社会とは正反対の、ゆとり溢れる生活と価値観に触れたというわけですね。

ええ。ロサンゼルスに住んでいる姉家族が、去年、創業者一族に会いに行ったらしいのですが、「20年前と全然変わってなかったよ」と(笑)。一方で我々は、競争が激化する都市部で生活していると、同じ地球上に変わらないものがあると思えるだけで、何か安心するところがありますよね。

──転職してからアトムを継ぐまでの道のりについても、お話しいただけますか?

デロイト トーマツ コンサルティングで3、4年働いているうちに、何か新しいことがやりたくなったんです。コンサルタントの仕事では、愛情をもって奉仕の精神で取り組んでいたお客様がいらっしゃっても、ある日突然、「契約の関係上、来月以降は関われません」となってしまうんです。そう言われても、気持ち的には寂しかったり、憤りを感じたりもするわけです、まだ青臭かった頃ですし。それで、資本参画して同じ方向を向いて仕事ができる会社を探していたところに、国策の一環として創設された産業再生機構という会社にご縁をいただき、飛び込んでみました。

やり甲斐があったし、何よりそこで働く人たちが面白かった。「失われた20年」と呼ばれる時代に倒れてしまった企業を助ける、野武士みたいな先輩たちの中で、4年間育ててもらいました。僕のビジネスパーソンとしてのスキルは、ここで学んだものが多かった。倒れそうなくらい忙しかったけれど、非常に濃密な学びの時でしたね。当時の先輩たちはいまも会うと気にかけてくれて、可愛がってくれます。



──いよいよアトムに入社しようと考えたのは、どんな理由やタイミングだったのでしょうか?

実は当初、祖父が創業したこの会社に入ろうというつもりは1ミリもなかったんですよ。僕はエリートビジネスマンの島耕作に憧れていましたから(笑)。

きっかけは怪我だったんです。時限立法の会社であった産業再生機構が解散するタイミングで、いろいろな会社からお声がけいただきました。それこそ50社以上から、好条件の話が次から次へと来るものだから、すっかり天狗になっていました(笑)。ところがそんな時に、野球で大怪我をしたんです。スライディングしてキャッチャーにぶつかって、脚を複雑骨折です。救急車で運ばれた病院では「歩けるようになるか分かりません」と言われました。そこから悶々とした生活が1年間続くんです。

痛いし、松葉杖だし、手術も合計3回しましたし。せっかくいい転職の話もあったのに働けない。お酒も飲めないし、遊びに行けないし、その時はまだ結婚もしていなくて、誰かの助けがないと生活できないので、実家の両親の世話になりながら、ただひたすら本を読んで勉強しました。その中で改めて人生を見つめ直して、自分はどう生きるべきなのかを思案しました。そこで気付いたのは、自分がお金を稼ぐことには長けていないということでした。誰かを蹴落としてまで成功したいという想いもなかったので、だったら法人格という人格をもつ会社を、次の世代に繋いでいくことこそが自分にしかできない使命ではないかという考えに至ったんです。そう悟ることができたのが、あの1年間の意味だったのだと思っています。

──継ぎたいと言った時、お父様はさぞ喜ばれたことでしょうね?

いや、面と向かってはちゃんと話してないんですけどね(笑)。僕には姉が2人、弟が1人いますけど、たまたま所謂、ビジネスパーソンが僕しかいなかったんです。だから僕が継いだことで、父もそうですけど、祖父に対しても良かったなと、自分では思えています。

富山での事業もそうで、従兄弟が大勢いますけど、誰も富山で商売している人はいなかったんです。そういう意味では、富山生まれの祖父も、きっと天国で喜んでくれているのではないでしょうか。祖父は、僕が生まれた時にはもう亡くなっていて、実際に会ったことがなかったからこそ、想像で対話できているような気がしています。

祖父が丸井を創業して、月賦販売で商品を売った際も、日本初のクレジットカードをつくった時も、すごく非難されたり揶揄されたそうです。それでも信じ続けて、お客様が何を、時代が何を求めていたかを敏感に感じ取って商売をし続けたというところを尊敬しています。いまビジネスをしている中でも、いろんな方から声をかけてもらえるんですよ、「当時の丸井さんには世話になった、お陰でファッションに夢中になれた」と。自分が大人になるにつれ、祖父の功績の偉大さが分かってきて、その誇りがいまの自分を励ましてくれているような、そんな気がしますね。

家業承継にあたって見出したポリシーと新たな取り組み


──家業を継ぐにあたり、継承するべきもの、変えるべきものについて、どのように考えましたか?



長く続けていくには、手を入れ続けなければいけないと思うんです。植林をするにしても、様子を見ながら間伐したり、枝を落としたり、手を入れないと健全には育たないじゃないですか。盲目的にそれまでと同じことを繰り返していくだけでは、いつかは時代遅れになって廃れてしまいます。先代と僕とでは、生きてきた時代も価値観も違うじゃないですか。だからこそ、うまくぶつかり合うことで変化を見出していく必要があるのだと思います。

社員に関しても、例えばポジションを変えるということが進化に繋がったりもします。長く勤めてきた経営企画室長がいたとしても、次の時代も同じ役割にはまるとは限りません。経験値で補えないような新しい経営企画のあり方やマーケティングの手法が出てきているだろうから、そこはちゃんと新陳代謝をさせないと生態系は守られないと思うんです。前の世代の方に敬意を表しつつ、でも時代を生き抜いていかなければならないのです。

代が変わったタイミングで、何か革新を起こそうと考えがちですが、それよりも内部をきちんと見つめ直して、苗木を植え替える方がインパクトが大きいというのが僕の学びかもしれません。それをちゃんとやらないと、企業は生き残っていけないと思います。

──新しい取り組みとしてのアートプロジェクト「ソノ アイダ#新有楽町」は、どんな想いで始められたのでしょうか?

いまの大きな都市を見渡しても、どこも同じような開発が進んでいる気がしてならないんです。街にも生態系があるので、お金儲けできる/お金儲けできないの基準とは別のところでも考えていかないと、魅力的にならないと思うんです。

「ソノ アイダ#新有楽町」プロジェクトは、僕らが将来何をやりたいかということを体現するための実験の場になると考えたんです。単体での採算性はなくても、アトムの目指すべき方向性を表現するには絶好の機会だと思いました。

実際、このプロジェクトを通じて「一緒にこんなことしませんか」というような、思いも寄らなかったお声がけが幾つも出てきています。街づくりの中で、こういう稀有な存在があることが重要なんだよと言いたくて、続けています。もちろん、僕個人がアート好きということは前提としてありますが(笑)。

このプロジェクトから、ディベロッパーの人たちが何かを感じ取って、面白がってくれるといいですね。大企業こそ、利益のうちの何%かはこうした実験投資に使うというふうにしてもらわないと、世の中、何も変わっていきません。「ソノ アイダ#新有楽町」も、今後利益を出せる仕組みになっていくかどうかは分かりませんが、自分だけはここにビジネスチャンスがあると思うから。たとえ経済的価値を見出せなくても、そこから得られる体験や出会いや価値があるよね、というところを腹を決めてやらないと、何も変化できませんから。

──アート支援でもあり、街づくりをアップデートする支援でもあるという、2つの側面があるわけですね。

その通りです。本来、うちのような小さな会社がやるような話ではないと思うのですが、大きい会社がやらないのだから仕方がない。いますぐに社会変革は起こせなくても、街で働く人、街に住む人、街へ来る人が少しでも「何か」を感じてくれればいいのかなと思っています。

僕はこのプロジェクト単体で成功とか失敗とかは語るつもりがなくて、2つ目、3つ目の「ソノ アイダ」がどこか他所にもできたら成功かなと思ってるんです。大企業がスポンサーについてくれて、他の街にもこういう場所ができてくれたら、それが目指すところだなと。儲けることだけじゃない、そうなった時に初めて社会が次の時代に更新されていくのだと思います。

──例えばForbes JAPAN SALONのメンバーが、何か手伝いたいというのもありでしょうか?

大歓迎ですね。最近、アート思考を題材にした本がよくありますが、我々はアートを学び、実際に制作していただくスクールを始めます。現役のアーティストや評論家に講師として来ていただくのです。写真と平面と立体の3つのテーマを予定しています。学びって、実際にやってみることで、理解は置いておいても腹落ちはするじゃないですか。サロンのメンバーにも、ぜひ参加していただけたら嬉しいですね。アート思考というものが、実体験として学べるはずです。

Forbes JAPAN SALONに期待すること




──ところで、青井さんがForbes JAPAN SALONのメンバーになろうと思った理由はなんでしょうか?

お店とか映画もそうですが、誰に紹介されたかというのが重要ですよね。まずは、信頼する友人に薦められたのが大きかったと思います。もう一つは、『Forbes』というメディアがコミュニティをつくろうとしていることが面白いと思いまして。ちゃんと読者の声を直接聞こうとしていることに共感しました。

──サロンにどんなことを期待していますか?

いろいろな業界に身を置く、いろいろな感度をもったメンバーの方々と出会えるところが、よくある業界団体とは違って面白いと思っています。これから熟成していく中での掛け算や化学変化に期待しています。

──最後に、メンバーの皆さんにメッセージをお願いします。

まだ海外に行きにくい時代だからこそ、日本の地方の魅力にもっと目を向けてほしいですね。いま、ラグジュアリーの分野においてはシンプリシティというキーワードがあると思っていて、それが地方に行くと見つかります。例えば飲みに行っても、深夜からの何気ない会話なんかが面白いじゃないですか。でも東京にいると、終電や次の日の予定があるからなかなか難しい。腹を割って話し合う、笑い合うなら、地方に泊りがけで出かけるべきでしょう。それを皆さんと一緒に、ぜひ富山で経験したいですね。なんなら富山だけでなく、ダーツを投げて行き先を決める旅もいいかもしれない(笑)。「地方覚醒」をテーマにいろんなところに出かけて行って、知的好奇心を満たすような体験を一緒にしていきたいですね。


あおい・しげる◎株式会社アトム 代表取締役社長 / 株式会社TOYAMATO代表取締役社長。慶應義塾大学経済学部卒業。デロイト トーマツ コンサルティングにて会計業務を基礎とした大企業の分社化や特殊法人の民営化プロジェクト等に従事。その後、産業再生機構にて日本企業の再生案件を担当。国内各所にある事業所にて、各企業の従業員と共に働き、その中での会話を通じて、再生に向けての課題を顕在化させ、企業の経営陣と共に再生を実施。2019年株式会社アトムの代表取締役社長に就任。同年、地方創生のヴァージョン2.0とする地方覚醒を目標としたまちづくり会社「TOYAMATO」(富山県)、「IKASAGAN」(長崎県)を立ち上げ、大都市以外から日本を盛り上げる活動に力を入れて取り組み中。

Promoted by Forbes JAPAN SALON / interview & text by Shigekazu Ohno(lefthands) / photographs by Takao Ota

あなたにおすすめ