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Forbes JAPANが創造する、エグゼクティブクラスの新たなコミュニティ

ソルト・コンソーシアム 代表取締役 井上盛夫

バブル時代に一世を風靡したトレンドスポットの仕掛け人、井上盛夫氏。ソルト・コンソーシアムの創業者は何を原動力に、いま何を仕掛けていこうとしているのか。クリエイティブなコミュニティのベースとなっている「EAT PLAY WORKS」で話を聞いた。


学生起業家として、ビーチハウスを手がけた原体験


──今日は井上さんが代表を務めるソルト・コンソーシアムが、2020年に広尾にオープンさせた「EAT PLAY WORKS」にお招きいただいています。その名の通り“食べて”“遊んで”“仕事して”を融合させる場所であり、コミュニティであるというのを体感しています。こうした“ワークライフスタイル”の舞台となる場所が、広尾にあるというのが大きな魅力ですね。



テラスもあったりして、意外に静かで落ち着くでしょう?広尾はスタイリッシュなイメージに反して、1本裏の通りにはまだまだ昭和っぽいのどかな雰囲気も残っていて、そこがいいんですよね。

──ソルト・コンソーシアムのスタートは西麻布ですから、この辺は庭のようなものですね。

庭ですね(笑)。東京に出てきて以来、ずっと西麻布にいますから。

──さて、読者のために改めて自己紹介をお願いしたいと思います。

2002年に35歳でソルト・コンソーシアムを起業しました。もっと遡ると、実は学生の頃から仕事をしていたんですが。僕は西宮の出身で、当時はバブル真っ只中。世の中がすごく輝いていた時代でした。いわゆる学生起業というのが初めてブームになり、学生が企画したパーティやツアーというのが大ヒットしたんですね。僕が最初にやったのは友人達と喫茶店の経営です。

──いまに繋がるスタートですね。

そうです。次にやったのがビーチハウスでした。「須磨のビーチをお洒落に変えよう」みたいなことで始めたのかな。1991年に、ちょうど湘南を舞台にした『波の数だけ抱きしめて』という映画が流行ったじゃないですか。あれのちょっと前につくったんです、円形のバーカウンターを目玉にして。最初は苦労したんですけど、2年目に大ヒットしまして。いま身を置いてる世界の入り口に立ったわけですね。



──そのビーチハウスがマイルストーンになったと?

ええ。就職活動の頃は空前の売り手市場で、それこそ引っ張りだこの時代だったんですが、行きたいと思えるところがなかった。当時、自分の企画した事業がうまく行っていたので、じゃあ自分でやろう!ということになった。就職せずに、そのまま会社をつくりました。社名は「禅」です。日本の魂として世界に伝えたいのが禅だと。僕はその頃から、日本の価値を世界に伝えたいと考えていたんですね。創業メンバーはかつてのバイト仲間たちでした。

──モチベーションはなんだったのでしょうか?

単純に、友達が遊びに来て「かっこええな、お洒落やな」とか言ってもらえるのが嬉しくてね。ただただ友達を喜ばせるために、あれこれ企画を考えました。やってることは、未だに何も変わってないですね(笑)。自分の身近な人たちのための場所だから、そこにはコミュニティができます。最初につくったビーチハウスもまだ同じ場所にあって、いまも通ってますね。



当時、その店で「トリコロールのラブストーリー」というテーマでFMラジオの番組をつくったんです。ビーチハウスで本当にあった出来事を帯にして。僕も参加して、お客さんを呼んで、そこで起きた物語をみんなが喋るんです。出会いや別れや喧嘩、彼女ができたとか取られたとか(笑)。毎回めっちゃおもろいなと思って。自分が勝手に、こんなんあったらおもろいなと思ってつくった場所で、人と人との出会いがあって、結婚もするし別れもあるしというのにすごく感動してね。そういうのをもっとつくっていきたいな!というのを、子ども心に誓ったわけです(笑)。



──円形のバーカウンターといった斬新なアイディアは、どこから来たのでしょうか?

映画の『カクテル』ですよ、トム・クルーズ主演の。当時、一つ自分の中で決めていたのが「世界中の海を見たい」ということ。だからそれをライフワークにしようと決めて、世界中の海を見に行くんですが、気に入った海に出合えたら、『トリコロール』の円形バーカウンターを自分の気に入った海につくろうというささやかな夢を抱いていたんですね(笑)。

──他にはどんなお仕事をされたのでしょうか?

ビーチハウスは、夏以外は暇なんですよ。会社にして人がいるんで、何かしなきゃいけないということで、今度はいわゆる企画会社で何でもやりました。割烹屋さんとかアメカジの店をやったり、スキー場のロッジをやったり、なんでもありでしたね。会社をつくる時に出資してくれた人がいて、次はこれやれとか、あれやれとか。でもその人、バブルと共に弾けるんですよ。僕も保証人になってたから、僕も弾けてしまって。怖い人たちから須磨の海に沈められそうになったりしました(笑)。

──そこからどうやって復帰されたのでしょうか?

東京に来ました。もう向こうの空気吸いたくないと思って、会社を畳んで。

東京に出てからの再スタートと、運命の出会い


──なぜ東京=西麻布だったのでしょうか?

東京に来てまずやることというのが、借金を返すためもあって、パチンコ店のプロデュースだったんです。当時ちょうど、女性にウケるパチンコ屋みたいなのが流行っていたので。そういう企画もののお店を次々とつくりました。それを2年くらいやるんですけど、だんだん嫌になってきて。それまで自分がつくったもので人に喜んでもらえてたのが、今度は自分がつくったもので、負けて悲しむ人もいるじゃないですか。そういうのを見ながら、俺は何をしているのかなと。30歳を契機に辞めようと決心しました。



その時に思ったのが、俺はやっぱり学生の頃にやっていた、楽しいをつくるというのがしたいなと。なんで西麻布だったかというと、パチンコ店の仕事は郊外なんですけど、東京を感じるために西麻布にいたんですよ。当時の西麻布は大人の香りがしてカッコいいなと思ってたんですが、なんでこんなにメシが高いのかなと思いましたね。当時イタリアンレストランとかが次々とオープンしてて、でも関西出身の自分からすれば、なんでこんなに高いんだ?と。なのに、なんでこんなに人が来てるんだ?と。じゃあ、自分でやってみようとなったわけです。

ちょうどその時に大阪で流行ってた「美食酒家ちゃんと。」という居酒屋があって、まだ創作料理というジャンルがなかった頃の先駆けだったんです。そこへ行って、岡田賢一郎という料理人を「俺と一緒に東京でやらへんか?」と口説いたんです。それまでは企画という空気を売っていたようなものでしたが、今度は岡田という人間をプロデュースしていこうと。すごい楽しかったですね、岡田の料理は本物やし、お客さんもみんな喜んでくれるし、誰も不幸にならない。


Nacasa & Partners inc.

──なるほど。では一世を風靡した「Ken’s Dining」から「ソルト」への移行は、どんな経緯で成されたのでしょうか?

「ちゃんと。」を5年やった頃、ちょうど「NOBU」が出てきて、海外で話題になっていました。岡田と一緒に見に行って、「NOBU」に負けずに「Ken’s」をやろうと(笑)。友人のGLAMOROUS co.,ltd. 森田恭通にデザインを依頼し、西麻布に生まれたのが「Ken’s Dining」です。その後、初めから海外でやることを想定して大箱ばっかりやるんです。「橙屋」という店は300坪の大箱までつくりましたね。当時はそんな大箱でも満席になって、月に1億くらい売ってました。

世界進出を考えていたとき、プロデューサーのイアン・シュレーガーというスターがいましてね。もともとニューヨークに「スタジオ54」というクラブを立ち上げて、それからブティックホテルというジャンルを始めた人で。そんなブティックホテルで日本食をやれたらいいねと、岡田と語り合っていたんですが、喧嘩してしまいまして(笑)。僕は副社長だったんですけど辞めて、自分の会社をやっていこうということになるんです。

ロンドンに行って見出した、自らの新たな使命


僕はみんながあっちへ行く時には、こっちに行くタイプで。みんながニューヨークに行ってるから、僕はロンドンに行こうとなるわけです。ファームデール・グループが手がける「ハム・ヤード・ホテル」というブティックホテルに行ってみるとすごく良くて。そこで、小さいけどレストランをつくったんです。日本人のお客さん相手じゃなしに、現地のファッション系の人たちに向けて、日本の食文化を発信するための場所をつくりたかったんです。

その頃、ロンドンには「ソーホーハウス」というクリエイティブな人のためのメンバーズクラブがあって、入れてもらおうとしたら「1,000人はウェイティングしているよ」と言われたんです。だから自分でニック・ジョーンズというオーナーを見つけて、話して、入れてもらった(笑)。ロンドン郊外のオックスフォードの「SOHO Farmhouse」という新しい場所に日本のレストランをつくろうとなって、意気投合したんです。のちにハリー王子とメーガン妃が結婚パーティーをしたり、世界中のエッジが効いた方々が集まるようになりましたね。



そんなふうに、現地で彼らと仕事しながら仲良くなっていくんですけど、ミーティングをしたりごはんを食べたりしているだけで、シンプルに気持ちがいいんですよね。日本の田舎もこうなればいいのにと思いました。彼らも全員日本好きだったし。それをやりながら、片方では外務省の仕事もしました。

──ジャパンハウスですね。



そう。でも刺さるであろうこと、やるべきことを提案しても、なかなか前に進まなくて。反対に、我々の事業はどんどん進んでいくんです。何せ、トップ同士で話してますからね。日本ってなんなんやろうと思うわけです。

やがて帰国して、向こうで知り合った人が遊びに来て、初めは「すごいね」と言ってくれるんですが、だんだんと「東京っていうのは意外につまんないね」と。「なんで同じようなビルばっかり建ってるんだ?どこ行っても一緒じゃないか」となるわけです。それよりも、人の温かさも含めて、地方に行ったほうが感動があった。海外では既存の建物を大事にしながら、クリエイターたちが、中身をあの手この手でリノベーションするじゃないですか。でも日本でやっていることというのは、見た目だけは絢爛豪華な新しい箱をつくっても、中身は後回しみたいな。これは真逆のやり方で、こんなことでは文化が生まれるわけないなと思ってました。誰にどうやってリーシングするのかという観点のみでは、国際競争の中で絶対勝たれへんと思ってました。

僕は海外でいろいろ新しい業態のレストランをやるんですけど、世界の中心でセレブリティを相手に日本食で稼いでいるのは、日本人ではなしに外国人だったんです。世界は日本のカルチャーを欲しているのに、日本人は何しとるんじゃ!なんとかせなあかん!と思って、イギリスにいながら考えたことが、いまの広尾の「EAT PLAY WORKS」の元となるんです。

向こうには、こういうオフィスがいっぱいあるんですよ。それで、そこにいるだけでなんとも気持ちがいい。なぜかというと、そこに来てる人たちのセンスがいいから。そのセンスがいい人たちが交わって、またセンスのいいものがどんどんできていくと。そういう場所を、自分も東京につくりたかったんです。



──ロンドンで感じていたフラストレーションを原動力に、自分で、日本でやってみようと考えたのですね。

そうです。僕らは30年くらいレストランをやってきて、そこで人と人を繋ぐということをやってきた。広尾のこの場所もそうですけど、食は切り口であって、大事なのは人と人を繋いで、みんながハッピーになるということなんです。ハッピーっていうのは美味しいごはんを食べたり、旅をしたり、遊んでるときに生まれるでしょ?ここでも場所の提供だけでなく、ハッピーに繋がるイベントや企画をいろいろ考えてやってます。

──オープニングの時、イギリス人の連れが言っていました。「まるで東京のソーホーハウスだ」と。

「ソーホーハウス」で仕事をしながら、何が日本と違うのかを考えたんです。答えは、そこは結局、創業者であるニック・ジョーンズの世界だったんですよ。彼は自分の好きな世界をつくって、好きなイベントを仕掛けて、集まってくる人たちを楽しませているだけ。僕もメンバーになって分かったんですが、そのシンプルさが日本にはないんですね。じゃあ、自分も日本で好きなようにやってみようと。そのために、まずはみんなの胃袋を掴もうということで、広尾の「EAT PLAY WORKS」の1階と2階のレストランができました。



──胃袋思想ですね。

発想が普通とは逆で。上のフロアにおもろい人を集めるために、下のテナントをどうしようかと考えました。これもシンプルで、自分が食べたいと思う店を集めようと。毎日イタリアンとか面倒だよね、ラーメンも食べたいしメキシカンも食べたいよね、という自然な発想で、世界中の自分がいいと思う店を口説いて、出店してもらいました。

──井上さんはカントリークラブとしての「東京クラシッククラブ」の発起人でもありましたね。

理事長が長年の友人でして。ロンドンにお店を出して、しばらくして「ウェントワースクラブ」というロンドンのメンバーシップゴルフクラブのメンバーになりました。すごく気持ちのいい場所でした。僕はゴルフが大好きで、世界のトップ100のゴルフ場を順番に回って、行った場所を地図上でピンで潰していくというようなことをやっていたのです。ビーチとゴルフ場、どっちも最高。それで、世界中のゴルフ場を見て回りながら、日本のゴルフ場は誰がこんなふうにしたんだと。ジャケット着て、ハイソックス履いてというのは一体誰が決めたんやと疑問を抱くわけです。海外の素敵なゴルフ場と全然違うぞと思って。

それで理事長と話し合って、東京クラシックはいまあるような、会員にとっての自由度の高いスタイルになっていきました。クラブハウスもテラスのある、自然を感じるスタイルにしたり、時計はやっぱりロレックスだろうとか(笑)。せっかく世界の名門コースを回ってきたから、世界に通ずる共通項というかスタイルにしようねと。

──井上さん自身のライフスタイルが、まさにそのまま仕事となっているのですね。

それしかできないですから(笑)。

──東京クラシックには、最初から会員制キャンプ場という構想もあったのでしょうか?



最初はゴルフ場と乗馬クラブという構想でした。でもアフターゴルフを満喫していると、泊まるところが欲しいねという話になったんです。敷地に森があるからつくろうよ、と。それも「ソーホーファームハウス」での体験がベースになっています。

──ゴルフだけじゃない、家族全員が楽しめるアウトドアのコミュニティという、まさにライフスタイル提案ですね。

そう。会員一人だけじゃない、家族や仲間で楽しめる場所になりました。

「黄金の国ジパングの復活」という夢


──これから、どんなことに取り組んで行くのでしょうか?

いまJFDA(日本ファインダイニング協会)というのがあって、僕は副会長をやってるんですけど。実はロンドンでやっていた時に、日本にクールジャパンファンドという仕組みがあったんですが、民間にはお金を出さないと言うんですよ。日本のクール文化を牽引する食のプレーヤーに出さんでどうすんの!?と思って、じゃあ団体をつくるしかないと考えたのがきっかけの一つです。

日本の食を海外に発信していこうというなら、いまこそまとまるべきだぞと。政府に対する窓口となるような団体をつくろうとなったんですね。それで、いろんな団体を集めて記者会見を開いたんですが、結構バズったんですよ。テレビも全局が来て、政治家からもすぐに問い合わせがきました。なんやこれ、団体にした途端、聞く耳をもってくれるんやなと思ったんですけどね(笑)。
その後、それが食団連の発足と続いていきます。

まず日本では、コロナもあり、レストランをやりたいという人が少なくなってきていると。でも世界では、美味いものを食べに日本に来たいという人がすごくいるんです。なのに、このまま食の文化を消すんかと。いろんな問題にちゃんとメスを入れないでここまで来ているから、そこを変えていきたい。スペインのサンセバスチャンみたいに、日本も世界一美食の国になるのではないか。



それと日本は島国だから、海外線には豊かな食文化があります。なのに、行きたくなるような場所がないじゃないですか。海岸線の端から端まで、いいレストランとお洒落な宿泊施設が日本中にバーっと線になって増えていったら、日本はもっとキラキラ輝くいい国になります。海岸線をデザインすることで「黄金の国ジパングの復活」みたいなことを勝手に言っているんですけど(笑)、そういうような活動をやってます。財源をどうするんだとか、課題が山積みですが、例えばふるさと納税企業版とか使ったらいいじゃないかとか、余計な規制を撤廃してもらうために動いてます。

海岸線の開発も、所有権がこっちは港湾局、こっちは国、こっちは県、こっちは市といった具合にバラバラだから、誰も手をつけてないんですね。そこを、我々が自主的に環境を守るためのルールをつくりながら開発できるように、行政に働きかけています。ちゃんと地元の人たちと共生するように考えています。あとは農地の改革も大事です。欧米にはアグリツーリズムがあるじゃないですか。でも、日本では農地を農地以外に使っちゃダメみたいな規制がある。例えば特区を設けてもらうとか、そういうことを我々が音頭を取ってやることによって、これまでの「当たり前」がいい方向に変わってくるんじゃないかと期待しています。



あとはもっと未来を考えて、どうしたら食のスター選手が日本から生まれてくるようになるのか、みんなが憧れる職業になるのかというような日本モデルをつくりたい。レストランの場所にしても、例えばビルの屋上ではこれをやったらダメ、あれをやったらダメみたいな規制がいっぱいあるんですよ。でも、それっていつの法律なの?と言いたくなるようなものばかりなんです。そういうことに、まずは自分たちで働きかけてみる。それでもできないことは、もっと大きなチームを組んでやる。そうして、日本をもっとおもろい国にしていきたいですね。そのためにも、いまの20代とか若い人たちの感性や考え方も知っておかないといけない。「EAT PLAY WORKS」がいいプラットフォームになってくれれば嬉しいですね。

──素晴らしいですね。井上さんのようにグローバルな視点で俯瞰すると、改善すべき“いまの日本の当たり前”が見えてきて、そこを変えていくともっと豊かな未来が待っているわけですね。

そうです。いい加減に鎖国を解いて、この国を世界一サステナブルで美味しい国、美しい国にしましょうよ。

──大いなる挑戦ですね。Forbes JAPAN SALONのメンバーにも同じような考えをもつ方がいらっしゃいます。ぜひ今度登壇して呼びかけていただきたいと思います。

サロンというのは、そこに誰がいるかではなく、そこから何を生んでいくかというところが大事だと思います。ぜひみんなで、これからこの国をどうすんの?というところを真剣に語り合っていきたいですね。


いのうえ・もりお◎1966年兵庫県西宮市生まれ。学生時代にイベント企画制作を手がける会社を始め、90年、株式会社禅を設立。イベントの企画運営、飲食店やビーチハウスの経営までを手がける。97年「ちゃんと」の取締役副社長に就任。2002年、ソルト・コンソーシアム株式会社を設立し、代表取締役に就任。飲食事業のみならず複合施設や遊休地の企画運営など食を軸にした不動産の開発プロデュースと運営を行なっている。

Promoted by Forbes JAPAN SALON / interview & text by Shigekazu Ohno(lefthands) / photographs by Takao Ota

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