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ポストラグジュアリー 360度の風景


彼女はハイエンド企業をクライアントに抱え、サスティナビリティについてアドバイスをしていますが、そのスタンスは、脱炭素への急激な流れで環境とラグジュアリーが結びついたのではなく、彼女の視野にある環境が自ずとラグジュアリーと重なっているのです。

今年、そのラグジュアリーの市場は、パンデミック以前のレベルに回復しました。ベイン&カンパニーの数字では、アパレルや宝飾など個人最終消費財のラグジュアリー市場規模はおよそ30兆円。この分野の70%ほどが欧州企業関連ですが、本連載でも書いているように、欧州以外にもラグジュアリービジネスが生まれつつあり、それらは世界各地にある文化のエッセンスを表現しようとしています。

スペックかストーリーか議論の行方


では、チチゴイ氏のいうラグジュアリーとは何でしょうか。ここでマナーの話が出てきます。

「熟練した職人によって作られた凝った製品がラグジュアリーといわれる傾向にあります。しかし、それは単にハイスペックのモノに過ぎません。実際は、“そのモノをどう扱うか”によってラグジュアリーであるかどうかが決まるのです」

つまり、文化遺産も含む環境とは、モノだけでなく、モノの扱い方に関する習慣や知恵も含み、それこそがラグジュアリーか線引きになるということです。「モノの扱い方」は、マナーと見ることができるでしょう。

しかし一方で、この数十年間、高品質のハイスペックのモノを誰でも持てる、何らかの地位や資格が不要であることでラグジュアリーの大衆化が進んできました。欧州のマナーを知らなくても、欧州外の地域の人が欧州のハイブランドの商品をもって幸せになれた。これはこれで良い方向だったのです。


Getty Images

ところが、今度はスペック競争にはまってしまいました。モノであろうとコトであろうと、高品質と高価格あるいは希少性といった項目チェックでクリアできれば「ラグジュアリー証書」が添付されるような世界観がのしてきたわけです。

だからこそ、「ストーリーテリングが重要だ」「いや、ストーリーテリングには飽きがくる。やはりモノの良さが勝負になる」との議論が盛んになった面があると推察します。

その結果、舞い戻って、マナーについて見ないフリをし続けられない状況になってきた。マナーというと、エリートの品格、ハイソサエティの嗜みなどを連想しやすく、もしかしたら敷居をあげるかもしれなくても、です。

中野さん、ラグジュアリー領域での決して古臭くなく、しかも窮屈ではないマナーのあり方をどう論じたら良いと思いますか? ぼくも、このテーマは考え始めたばかりです。幅広い視点からご意見いただけると嬉しいです。

文=安西洋之、中野香織

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