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背中を押してくれた友人の言葉


「そうは言っても、市長選に出るべきかはものすごく迷いました。もやもやしていた期間も含めると2年ぐらい。迷い続けて、疲れ果てた時期もあります」

市長というキャリアを現実的に考え始めた越は、就任後に実現したいことを資料にまとめ、国会議員などの有識者に意見を求めて回った。

そこでは決まって、2つのことを言われたという。1つは「若すぎる」。もう1つは「政治の経験がない」。30代半ばという若さで市長選に挑もうとする越に、肯定的な言葉をかけてくれる人は少なかったという。

確かに、政治家として経験を積まなければできないことはあるかもしれない。でも、本当にそうなのか──。

迷い続ける越の前に1つの答えをくれたのは、留学先で知り合った友人だった。その温かくも力強い言葉を、越は昨日のことのように思い出す。

「悩む私の様子を見て、その友人は『迷えることはラッキーだ』と言いました。世の中には選択肢を持てない人の方が多いのだから、迷えるだけ迷ったらいい。迷えるのは自由の証だよ、と。その言葉のおかげで、納得いくまで考え続けられたんです。

また『自分にしかできないことをやるべき』とも言ってくれました。確かに、当時私が所属していたアメリカの法律事務所には500人もの弁護士がいて、私の代わりはいくらでもいる状況でした。でも、市長は違う。『市長は1人なんだ』と気づいたとき、考え方が変わり始めたんです」


大津市長時代(本人提供)

若さや政治経験のなさは、欠点だと思っていた。しかし、若い感性が政策に活かされたり、経験のなさゆえの市民に近い感覚が役立ったりする場面だって、あるに違いない。

「私が市長になって、『自分にしかできないこと』をしよう」

立候補を決めた越の表情から、逡巡の色は嘘のように消え去った。

子育て支援策を中心に据えたマニフェストは多く市民に支持され、越は2012年に大津市長に当選。その出来事は「史上最年少の女性市長誕生」と、地元で大きく報じられた。

8年で54園増設、働く女性70%増


しかし、越の本当の戦いが始まるのは、市長になってからだった。終身雇用、年功序列のいわゆる“日本的”な職場に彗星の如く現れた女性リーダーに対し、就任当初はあからさまに嫌な態度を取る職員がいたという。

机をバンと叩かれたり、ドアを思い切り閉めて出ていかれたりすることもあった。それでも越は「辞めたいと思ったことは一度もなかった」と当時を振り返る。

「市長になる前にも、若いとか経験がないとかマイナスなことを散々言われましたが、それでも市長を目指す気持ちが完全に消えることはありませんでした。やりたいことに対して反対の言葉をかけられたからこそ、自分のなかにある“真の情熱”に気付けたのだと思います」

納得いくまで悩み抜いて生まれた強い決意は、市長になった越をどんなときも支え続けた。

文=一本麻衣 写真=小田駿一 編集=松崎美和子

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