世界38カ国、800万人が愛読する経済誌の日本版

木原製作所 木原康博社長

売上げ、利益、従業員数などの「規模」は小さいが、未来を切り拓くユニークな製品やサービスを展開する企業「スモール・ジャイアンツ」。ビジネスを通して、世界を変えようとしている企業のトップは、どんな人生を歩んできたのか。社長たちの波乱万丈人生にフォーカスし、人生を変えるきっかけとなった3つの転機に迫る「社長の人生グラフ」シリーズ。

山口県山口市に本社を構える木原製作所の4代目、木原康博社長。1902年(明治35年)創業の木原製作所は、農産品のなかでも乾燥が最も難しいとされるタバコの乾燥機メーカーとして業界最古参。これまで高度な乾燥技術を蓄積してきた。

2006年からは、温度管理だけでなく湿度まで制御する独自の技術(温湿度管理技術)を活かし、ドライフルーツや乾燥野菜といった食品乾燥機の事業にも参入。2010年に自社サイトをオープンさせるや否や、食品乾燥に関する相談が多数舞い込み、現在は海外進出も果たしている。

アメリカのビジネススクールへの留学後、30歳で現職に就いた木原社長は、同社を唯一無二の食品乾燥機メーカーに成長させるまで、どのような軌跡を歩んできたのだろうか。社長の人生グラフを見ていこう。


null
木原康博社長の人生グラフ(直筆)

1. 22歳(2000年):大学卒業後、渡米しビジネススクールに留学。当時の学びがその後の事業展開に影響を及ぼす。


2. 30歳(2008年):減反政策のあおりを受け、主力製品だったタバコ乾燥機の売上が減少。リーマンショックで半導体のOEMの売上も激減し、食品乾燥事業へ完全に舵を切ることを決断。

3. 33歳(2010年):「優秀省エネルギー機器表彰」受賞。食品乾燥機の性能が公に認められ、自信を深める。

──就職活動をされていたようでしたが、学生当時は家業を継ぐことを考えていなかったのでしょうか。

学生時代はもっぱらラクロスの部活動に打ち込んでいましたね。大学を卒業してからいきなり継ごうとは考えていなくて、まずは社会勉強をして、将来実家に戻ったときにその経験を生かせればいいなと思っていました。

周りに流されるような形で始めた就職活動も、当時、企業に対する知識が全く無かった私にとっては結構勉強になりました。金融業界や教育業界に興味を抱いていましたが、業種は選ばずに広く就活し、5〜6社から内定をいただきました。

──卒業直後の2000年にはアメリカに留学されていますね。(転機①)

留学のサポートをしていた父の友人から勧められたことがきっかけです。留学はいつでもできるものじゃないし、そんな選択肢も良いかなと。

それで、内定をお断りして、大学を卒業した年の6月頃にアメリカへ飛び立ちました。留学は計3年間。最初の1年はビジネススクールに通い、プロジェクトマネジメントについて社会人と肩を並べて学びました。その後は、同じくアメリカに留学した弟の勧めでUCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)のビジネススクールに入り、マーケティングを勉強しました。


アメリカ留学時代(後列左)

留学前はちゃんとした英語を話せなかったので、嫌でも一生懸命勉強するんですよね(笑)。加えて、ビジネススクールでの勉強を通じて、経営サイドの視点を意識するようにもなりました。ラーメン屋に行ったら「ラーメン1杯いくらで原価これくらいだとしたら、1日これくらい回して、これくらいの儲けかな」なんて自然と考えるんです(笑)。いつか海外で働きたいと思い始めたのもこの頃からです。

文=島田早紀 編集=松崎美和子

日本たばこ産業

PICK UP

あなたにおすすめ