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──実際には海外で就職することなく、25歳で木原製作所に入社。5年後の2008年には4代目の社長に就任されています。どのような経緯で?

父が大病を患ったんです。知らせを受けたのは、ビジネススクール卒業前、最後のインターンプログラム中でした。現地の企業に就職するチャンスもあったんですが、帰国せざるを得なくなり、弟と一緒に入社することになりました。

当時は、木原製作所が製造メーカーであることはわかっていましたが、何を売っているのか、製品がどのようにつくられるのかという基本知識がまったく無くて……。そんなところからのスタートだったんですね。初めに2年半ほど営業を担当した後は、製造部長として工程を勉強することになりました。

弊社ではタバコ乾燥機の製造の他に、故障した乾燥機の修理も行っています。それまでは、機械更新のたびにタバコ農家さんに新たな乾燥機を買ってもらうというビジネスサイクルでやってきていたので、営業部として現場を回ったときは、農家の高齢化に不安を覚えました。このままじゃ、経営はまずいんじゃないかなって。既に日本たばこ産業(JT)によるタバコの減反政策も始まっていたんですが、社内には意外なことにのんびりとした空気が流れていたというのが当時の印象です。


タバコ乾燥機

2006年からはインターネットを介した相談サービスを始めました。その際、「商売の潮目も変わってきているから」という父の意向で社長を引き継ぐことになったんです。

──社長就任と同時に、グラフが大きく落ち込んでいます。(転機②)

社長になったばっかりで、いきなり谷だったんですよ(笑)。減反政策でタバコの生産量が減少していくのが目に見えている、乾燥機の需要も無くなっていく。そろそろ新しい経営の柱をつくらなければいけないと思っていた矢先に起こったのが、リーマンショックでした。

こんな田舎まですぐに影響は来ないだろうと思っていたら、タバコ乾燥機の次に主力だった半導体のOEMの受注が急にほぼゼロまで落ち込んだんです。それまでは少しずつ伸びていた事業だったので、期待していたのですが……。こりゃまずいなって。

当時は、とにかく赤字が続いたのがつらかったですね。取引先の農家さんにゴルフ大会に呼んでもらうことがあるんですが、大会終了後には「またここに来れるかなぁ」とか「来年、潰れてなかったらいいなぁ」とかって考えちゃうんですよね(笑)。

乾燥機の売り上げで借入先の銀行に返済するという従来のサイクルも機能しなくなっていたので、事業所の統廃合や高齢社員の雇用延長打ち切りなどの措置を講じなければならない状況に追い込まれました。

──「どん底」期の毎日をどのように乗り越えられたのですか。

このままじゃダメだと焦りは募る一方で、どうしたらいいかわからなかった。でも、もうこうなったら出来ることをコツコツとやっていくしかない。自分から頼み込んで専門家に指導してもらいながら、生産効率や財務を一から見直していったんです。まさに走りながら考えていました。

当時は、減ってしまった売上をすぐにV字回復させるようなアイデアも持ち合わせていなかったので、これまでにやってきたことや、現状の打開策となりそうな新事業について、弟と膝を突き合わせて考えました。そのなかで、タバコ乾燥機の技術を転用した食品乾燥機事業に本格的に舵を切っていくことを決断したんです。

文=島田早紀 編集=松崎美和子

日本たばこ産業

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