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最初期のボビイ ブラウンは、ニュージャージー州モントクレアの自宅から出発したインディーズブランドだった。注文を受けた口紅をキッチンで梱包するブラウンのかたわらでは、赤ちゃんだった長男が子ども用椅子に座り、近所の郵便局から夫が注文の品を発送していた。

起業からわずか4年で、ブラウンのラインは成長して製品を増やし、百貨店バーグドルフ・グッドマンとニーマン・マーカスでナンバー1の化粧品ブランドになった。その後、エスティローダーのレナード・ローダーから、ある申し出を受けた。


(Getty Images)

ローダーは、ブラウンと夫のスティーブン・プロフカーとディナーをともにした席で、「あなたは、どの店でも我々に圧勝していますね」と言った。そしてローダーは、ブラウンが拒めないような、“チーフ・クリエイティブ・オフィサー”職をオファーをした。それは、2020年10月まで効力を持つことになる、25年という長さの競業禁止条項でもあった。

この契約を結んだ当時、38歳だったボビイ・ブラウンは、25年後、60代になっても自分が仕事をしたがるとは思っていなかった。当時の彼女は、将来のことがほとんどわかっていなかった。

新たなブランドを立ち上げるまで


2016年後半に、ブラウンは自身の名を冠したブランドを離れた。そのときは別のコスメラインを始めることは考えていなかった。

「ずいぶんと久しぶりにまっさらな白紙の状態になって、9冊目の著書『Beauty From The Inside Out』のプロモーションをしていました。この本の内容は、80%が食事について、20%がメイクアップについてです。この本からも、メイクアップの割合として少なくなりつつあったことが見てとれると思います」とブラウンは話す。

ブラウンは学校へ戻り、インスティチュート・フォー・インテグレイティブ・ニュートリション(Institute for Integrative Nutrition)でヘルスコーチの資格をとることに決めた。そう決断したのは、ようやくそのための時間ができたからだが、彼女が自称「生粋のフーディーで健康オタク」だからでもある。

こうしてブラウンは、製品の品質とそれが健康に与える影響について、多くの知識を身につけた。その間、人気オンライン講座「Master Class」に講師として招かれたり、インドへ赴き、同国初のメイクアップフェスティバルで教壇に立ったりもした。

新会社立ち上げのタイミングは、新たに得た知識と、ブランドが消費者に直接語りかけられる革新的な方法が相まった結果だった。

「私は、D2Cとソーシャルから生まれる世界の新しい在り方に、大きな関心を持っていました。メイクアップ・アーティストとして、そしてメイクをこよなく愛する者として、自分には何かができると賭けてみたのです。より良い何かというより、何か違うことができるのではないかと」

ブラウンの生き方は、信念さえあれば、年齢も人生のどんなステージであっても、何かを始めるには「今」ほど適したタイミングはないということを、世界中の女性たちに示している。

翻訳=梅田智世/ガリレオ

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