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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

かつて「科学と宗教の対話」という場に招かれ、チベットのダライ・ラマ法王と対話する機会を得たが、この場で、法王は、いつもの様にユーモアに溢れた表情で、何度も「慈悲」(compassion)の大切さを語っていた。

この「慈悲」という言葉は「博愛」(philanthropy)や「利他」(altruism)という言葉とともに、世界中で、多くの宗教者によって語られてきた言葉である。

しかし、宗教数千年の歴史において、こうした言葉が語り続けられてきたにもかかわらず、現実の世界は、いまだ、政治も、経済も、社会も、その対極の「利己的な衝動」によって動かされている。

その根本的な理由は、我々の心の中に「自己中心的なエゴ」が存在し、それが、しばしば、目の前の損得に振り回され、「利己的」に動くからである。

この「エゴ」は、どれほど強く「エゴを捨てよう」と思っても、それで消えていくほど生易しいものではない。それは、ときに、慈善事業や社会貢献に関わるときでさえ、「虚栄」や「偽善」の心として密やかに忍び込んでくる、厄介なものである。

では、この「人間のエゴ」があるかぎり、社会において、真に「慈悲」や「博愛」や「利他」の精神を広げていくことは、不可能なのであろうか。

その問いへの一つの答えを示しているのが、フランスの思想家、ジャック・アタリが語る「合理的利他主義」(rational altruism)の思想であろう。

これは、我々が「利他的」な行動を取るべきなのは、「自己犠牲」の精神からではなく、その行動が、自分にとっての「利益」になるからであり、「幸せ」に繋がるからである、との思想である。

例えば、親が子供を献身的に育てるのは、それが「生き甲斐」や「喜び」に繋がるからであり、困っている隣人を助けるのは、そうした助け合いの文化が、自分にとっての「安心」に繋がるからである。

また、我々が、地球温暖化の解決に取り組み、未来に安全で快適な環境を残そうとするのは、未来の世代が希望を持って生きられることが、現在の世代の将来にとっても有益だからである。

もとより、筆者は、人間が本性として持つ「慈悲の心」や「博愛の精神」を信じる人間であるが、このアタリの「合理的利他主義」の思想は、ただ素朴に「犠牲的精神」を鼓舞し、「私欲を捨てよ」と唱える思想に比べるならば、人間の本源的なエゴに処するための、より深い、賢明な思想であろう。

そして、この思想に基づくならば、近視眼的思考で「破壊的な利己主義」に走る人間は、「慈悲」や「博愛」や「利他」の精神が欠如しているのではなく、むしろ、「何が自分にとって本当の利益となるのか」「何が本当に自分の幸福に繋がるのか」を正しく理解する「知性」が欠如していると言える。

文=田坂広志

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