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フォーブスジャパン編集部


私たちの活動にもつながりますが、会話のきっかけを作ることも大切。自分の心と向き合うことを「チェックイン」と言いますが、何気ない会話の中で「最近メンタルヘルスどう?」と聞いてみることは、いまも実践しています。

日本でもメンタルヘルスへの意識が少しずつ変わっていますが、気軽にカウンセリングをする環境はなかなかないし、まだ精神科の病院に通うことへの偏見もあります。私は日本で生まれ育って日本への愛があるので、セルフケアや精神疾患などへの偏見をなくしたいと思います。

──愛さんは大阪で生まれて、生後半年から10歳までカリフォルニアで育ち、日本で小中高時代を過ごしました。これまでのターニングポイントは?

日本の公立小学校に5年生の2学期の時に転校して、初めて自分はミックス/ハーフなんだと気づかされ、ショックを受けたんです。アメリカではいろんな人種の人がいたから当たり前だと思っていたけれど、小学校で唯一の白人とのハーフで、最初は日本語の読み書きが全くできなくて。それに自己主張が強くて、遠慮しないから性格がアメリカ人っぽいと思われていました。

国際系の中学、高校に進学しましたが、授業は全て日本語。今度は「バカなハーフ」「日本がきらいだったらアメリカ帰れば」などと言われ、いじめにあいました。その時、自分自身も人生もすべてが嫌になり、周りにも反抗していました。ですが、負けず嫌いだったので、この苛立ちをどうしたらいいんだろうと思った時、全部できるようになって見返してやろうと思いました。

どん底なのに寝ないで勉強をして成績を上げて、生徒会にも参加したり、ソフトボール部で活躍したりして「人生大逆転」の状態でしたが、だんだん完璧主義になっていき、全て100点じゃないと納得しないような状態になってしまいました。

中川ホフマン愛

15、6歳でパニック障害になるんです。でも、その時は精神疾患という言葉も聞いたことなかったから無視していました。どれだけ頑張っても、マイクロアグレッション(何気ない日常の中で現れる偏見や差別に基づく侮辱や否定的な態度)を日々感じるようになったのもこの頃です。無遅刻無欠席だったのに17歳のある日、ベッドから起き上がれなくなりました。

最初は大げさだと思っていたけれど、徐々に深刻になっていきました。そんな時、家族のひとりが自殺で亡くなりました。彼も鬱をずっと抱えていて。それを受けて母が私をすぐに病院へ連れていき、メンタルヘルスについて知ったのが人生の分岐点です。

当時は周りに認められるように必死に生きていた。バカやハーフとカテゴライズされるのではなく、私として見てほしくて。でも優等生のようになっても、結局そのカテゴリーに入っただけで辛かったです。

20、30代の最大の死因が自殺なのに、みんなそのことについて話していません。一人で抱え込むから絶望を感じてしまう。もっと共感しあえるような社会になってほしい、と強く思いました。実は、このようにものすごくパーソナルな経験がblossomの活動に繋がっています。たまにそれがSNS上だけでは伝わりきらず、落ち込むこともあります。

文=督あかり 写真= アマリ・ウェデル

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