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THE TRUTH


当時の松井が残した、移籍を繰り返す背景にある覚悟や決意にも聞こえる言葉は、いまもなお力強く脈打つ。再びポーランドへ渡った約5カ月後の2018年1月に横浜FCへ加わったのも、そしてファン・サポーターをも驚かせた今回のサイゴンへ移籍も、サッカー人生で松井が貫いてきた挑戦と前進の一環だった。

「いろいろな国を見て、いろいろな人と対話を重ねることで、自分の人間的な深みを含めて幅が広がると思っている。井の中の蛙ではないけど、それでも日本は島国なので違う場所へ行って、違うものを見ることが大事なので。体験しないと何もわからないし、そうした経験の数々が財産になる。例え失敗しようが、怪我をしようが僕のなかで悔いは残らない。挑戦することに意義があるので」

サイゴンへの移籍にあたっては、53歳の現役最年長選手のカズや、磐田に続いてチームメイトになった42歳の中村俊輔から「まだプレーできる身体と精神力があるのであれば、ずっと続けていくべきだ」とエールも受けた。いつかは必ず訪れる引退後のセカンドキャリアに備えて、すでに指導者になるためのライセンスも取得し始めている松井は、現役への比重をより高めるためベトナムへ渡った。

「新しいものに触れたときに、違う目線や角度でものごとを見られたりすると思っています。年齢とともに経験が重なり、一応はコーチ目線といったものも加わったことで、ベトナムでは子どもたちにサッカーを教えることもできるかもしれない。いろいろな可能性が広がっていくと僕は考えています」

言葉通り、松井のインスタグラムには、本拠地があるホーチミン市の子どもたちに、サイゴンのチームメイトたちと一緒にサッカーを教えている写真が投稿されている。さらにオーナー兼会長のビン氏と握手を交わしている写真には、松井へ伝えられたビン氏の壮大な夢が綴られている。

「私のビションは日本の勤勉さ、おもてなしの精神、人間尊重といったものを取り入れることでベトナムのサッカーを発展させるだけでなく、ベトナムという国自体のレベルを上げることです」



サイゴンには松井に続いてFW高崎寛之(前FC岐阜)、MF禹相皓(前栃木SC)、MF刈部隆太郎(前スパンブリー)とJリーグ経験者が加入。さらに日本サッカー協会の技術委員長を務めた経験をもつ、レノファ山口前監督の霜田正浩氏がシニアダイレクターに就任した。

留学を含めて日本で20年以上も暮らしたビン氏が抱く、日本人への畏敬の念のもとでサイゴンは先行投資から次のステージへ移った。

単なるクラブの強化を飛び越え、代表チームを含めたサッカー界全体の改革や地域おこし、果ては国力を上げていく計画に参加できたことが松井を高ぶらせる。

「Mr.ビンさんの考えがなければ自分はベトナムには来ていないです」

インスタグラムにこんな言葉を綴った松井の脳裏には、小学校6年生だった1993年に、テレビ越しに夢中になっていたJリーグの熱狂ぶりが浮かんでいるはずだ。産声をあげたばかりのJリーグを力強くけん引したスターの一人に、現役復帰を果たしたブラジルの英雄ジーコがいた。

ジーコがイズムを捧げ、礎を築いた鹿島アントラーズは今では常勝軍団として、ライバル勢の追随を許さない20個ものタイトルを獲得した。くしくも1993年当時のジーコと同じ40歳になる松井が、ベトナムの地で放つ輝きには、日本代表時代からまったく色褪せない多彩で華麗なテクニック、再び未知の戦いへ挑戦できる喜び、そして初めて経験する伝道師を託された気概が凝縮されている。

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文=藤江直人

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