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時間とは愛のこと?


ロヴェッリの時間を否定する論議は、イギリスの哲学者マクダカードが1907年に出した「時間の非実在性」という論文にまで遡るが、要は時計が規則正しくカウントした数を数えていく一連の系列が時間を表現していると思っているが、それが本当に時間そのものなのか? ということだろう。何をもって時間とすべきなのか?


Photo by Keystone-France/Gamma-Keystone via Getty Images

もともと川の流れに喩えられ、宇宙の初めから不変と考えられていた時間も、相対性理論で延び縮みするものであることがわかったが、それを唱えたアインシュタインでさえ「過去、現在、そして未来の間の区別は、単なる幻想にすぎない。たとえ、その幻想が非常に強いものであるとしても」と言っており、アウグスティヌスの有名な「私はそれについて尋ねられない時、時間が何かを知っている。尋ねられる時、知らない」という言葉を引くまでもなく、時間の実在を矛盾なく説明できた人はいない。

時間という言葉は曖昧で、時刻を指したり、経過の長さを示したり、空間と一緒の認識概念という捉え方もされるのだが、時間の存在論という込み入った話は手に余るし、時間自体を否定されても困るので、ここでは、われわれが少なくとも存在していると感じている時間の意味について考えてみたい。

まず19世紀の時間の標準化は、テクノロジーの発達で電信、電話という電子メディアの登場で世界規模の情報流通が瞬時に行われるようになり、鉄道や自動車の発達で従来からは考えられなかったスピードで国を超えた移動が可能になったことの必然的な帰結だろう。それが20世紀になって電波の利用や飛行機の登場でさらに拡大し、現在はインターネットによって、実質的に地球上の全人類が場所や時間を超えて結びつこうとしている。

歴史学者のスティーヴン・カーンは、こうしたメディアの変化をもたらしたテクノロジーのスピードに、社会や体制がついてこれなかったことが歴史的な事件を引き起こしていると考え、電話や飛行機の時代に貴族が手紙で外交交渉をしていたズレが第一次世界大戦を引き起こす要因になったと指摘した。メディアが従来の時空の考えやスケールを大きく変えた結果、国や地域をまたいだリアルタイムの戦争として、初めて世界規模のマススケールの戦いが生じてしまい、第二次大戦ではさらにスケールとスピードが拡大した。

文=服部 桂

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