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共に、生きる──社会的養護の窓から見る


森田ゆりさんの編著『虐待・親にもケアを』(築地書館)の一説を引用する。

「すべての子どもは、安全、そして安心な環境で育つ人権を有しており、一人格として尊重に基づき扱われ、体罰や虐待、そのほかのどのような屈辱的な扱いも受けてはならないのです。この理念の実現のため、虐待に至った親が子どもとの尊重に基づいた健康な関わりを持つための土台は、まず親が自分自身の人権尊重、自分という存在の唯一無二のかけがえのない大切さを心から深く感じることから始まります」

「子どもか、親か」ではなく「子どもも、親も」


「子どものケアより虐待する親のケアを優先するのか」という批判もあるかもしれないが、家族の問題を見ていくとき、私は、その視点を「子どもか、親か」ではなく、「子どもも、親も」に合わせて見ていくべきだと思う。子どもと親の問題はいつも背中合わせだ。

虐待されて大人になった人たちとの関わりの中で、親に対する複雑な気持ちを聴かせてもらうこともある。「絶対に許すことはできない。罰を受ければいい」そう語る人もいれば、ある人は「守ってくれなかった親だけど、本当は、優しくされたかった。抱きしめてほしかった」「誰か、親を助けてくれたらよかったのに」と、どこかで親を求める気持ちがあることを教えてくれる。

虐待されて育つと、自分も子どもを虐待するのではないかという「虐待の連鎖」に怯える人もいる。虐待された自分にはきちんと子どもを育てられないと、強い不安や無力感を抱えている人は少なくない。

ゆずりは
プログラムは10人以下の少人数のグループで行い、ファシリテーターも一緒に円になって座る。

「虐待の連鎖」の呪縛から自分を解き放つ


いわゆる「虐待の世代間連鎖」の考え方で、日本では専門家でさえも安易に発信する人がいる。しかしこれは決して正しくはない。たしかに虐待する親の背景に被虐経験があることは、虐待対応の現場や心理臨床の場などで実感として語られることは多い。

しかし虐待を受けた人がみな子どもを虐待するという科学的根拠はない。むしろ、被虐待児を長期にわたり追跡した米国の調査では、2/3が虐待をしていないことを明らかにしている。(Kaufman&Zigler,1987)。つまり7割は、虐待をせず、踏みとどまっている。

「虐待は連鎖する」とあたかも確定した事実のように言葉にすることは、虐待の環境を生き抜いてきた人たちのスティグマ(烙印)と結びつき、彼らを苦しめることがあることを知ってほしい。

マイツリーに参加する母親たちにも虐待を受けてきた人は多いが、自分の子どもには、虐待の連鎖という負の遺産を手渡さない、自分の代で終わりにする、と固く決意している人もいる。私たちは、そう決意させた、その人自身の力を信じたい。

文=矢嶋桃子

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