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山本憲資の百聞と一見の二兎を追う


そして、東京藝術大学音楽学部指揮科に入学しました。舐めた考えのままたまたま入ったみたいなところがあったので、周りとレベルも覚悟も違う。勝手に劣等感に苛まれ、知識がないことを周囲にバレたくない、いろんなことに飛びこんでいきたくないという気持ちが大きくなっていきました。

青森の田舎から東京にきて、匂いや騒音、人混みといった様々な生活の音に疲れてしまい、軽いうつ病と診断されたこともあり、半年間休学。ここで復学しないともう1年やり直しになるというタイミングで騙し騙し戻る努力をしましたが、当時はそこで音楽をやめて、もう一度違う大学を受けなおそうかとも思っていたくらいでした。



あるとき、学外でお世話になってた(指揮者の)下野竜也先生に、もう最後だと思って電話しました。すると先生が、「ほんとにどうにもならなかったら自分のところに来ればいい。藝大は、藝大というだけで価値がある。いろんな才能がある人たちが溢れている。そういう人たちと何かをやることが力になる」と。その言葉もあり、なんとか続けてみようかなと思いました。

それでも具合は悪かったけれど、言葉の力は大きく、少しづつ通常の自分に戻っていけました。どうにか卒業だけはしようと思って足掻いているうちに、もう一人の恩師ともいえる(指揮者の)高関健先生が藝大に教授としていらして、そこから道が拓けていきました。

指揮というものは、自分では(どれだけできているのかが)わからないのですよね。この時点で自覚はなかったものの、その頃から評価してくださる先生方がいて、自分が信頼する先生方の言葉を頼りにすることで、なんとかここまでやってこれました。

最近になってこそ、評価されるところに共通項があるように感じるようになりましたが、はっきりとした才能があるとはまだ思えていません。20代から活躍しはじめて、作曲もいろんな楽器の演奏もできるという人は他にたくさんいます。私はどちらかというとスローで、じっくり積み重ねてきたタイプなのかもしれません。

音楽家として生きていくべきという確信


在学中からマスタークラス(若手音楽家や学生を対象とした講習会。超一流の音楽家が講師を務めることも珍しくなく、国際的に知名度の高いクラスになると受講前に審査やオーディションもある)を受講していたのですが、どこか突き抜けられませんでした。そんななか、マスタークラスの最後の演奏会で、今までと違う音楽ができたと思える瞬間がありました。

当時オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督を務めていた井上道義先生が「モーツァルトの音がした」と言ってくれ、その演奏会が終わり、深夜バスで帰る途中に、井上先生から金沢に来ないかと誘われました。おかげでバスで寝られなくなりました(笑)。

文=山本憲資

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