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THE TRUTH


「FC東京でプロサッカー選手になって、憧れの石川さんと同じピッチでプレーしたい」──中学校に進学した翌2006年に、中学生年代のFC東京U-15深川に加入した橋本は、高校生年代のFC東京U-18を経て、2012年にトップチームへと昇格。年齢がひと回り違う石川選手とチームメイトになった。

そして、J2のロアッソ熊本で約1年半の武者修行を積み、心身両面で成長を遂げた橋本が満を持してFC東京へ復帰した2015シーズン。6月20日に敵地ベストアメニティスタジアム(現・駅前不動産スタジアム)で行われたサガン鳥栖戦で、橋本が長く夢見てきた光景が現実のものとなる。

後半23分からピッチに立った石川選手に続いて、橋本も同33分に投入される。12分あまりに及んだ初めての同じ舞台。しかし、その後は、左ひざの前十字じん帯を断裂した石川選手が長期離脱を余儀なくされたこともあり、その後はなかなか再び実現されないまま、石川選手は2017シーズンをもって引退する。

12月2日の2017シーズン最終節。約2年4カ月ぶりの公式戦出場を先発で果たし、味の素スタジアムで57分間プレーしたガンバ大阪戦が石川選手のJ1における最後の一戦となり、先発フル出場した橋本と4度目にして最後の「共演」となった。このとき、橋本は「18番」の後継者になると心に決めた。

「ナオさん(石川選手)のファンの1人として、引退試合を含めて一緒にプレーしたなかで、あらためて偉大な選手だと感じていました。ナオさんへの思いを込めて『18番』を背負わせてもらおうと考えたのです」

ただ、恥ずかしさもあって、なかなか選手を辞めた石川さん本人へ言い出せない。踏ん切りがついたのは、2017年の年末だった。新シーズンへの鋭気を養うために滞在していた南半球のオーストラリアから、「ちょっと静かな場所まで行って、気持ちをしっかりつくって」橋本は国際電話を入れた。

残念ながら、橋本からのコールに石川は気がつかなかった。しばらくして着信を見た石川が折り返してきたときに、秘めてきた思いをようやく告げることができた。

「実は相談がありまして。ナオさんの『18番』をつけて、来年からプレーしたいんです」

石川さん自身も「18番」を次に誰がつけるのか気にかけていた。FC東京というクラブを心から愛し、プレーを通して責任と覚悟を示すことができる選手に背負ってほしいと願っていたからこそ、受話器越しに聞こえてきた橋本の申し出には、「心が震えた」と石川さんも振り返る。

「こんなに嬉しいことはないですから。僕のほうこそ『ありがとう。ぜひともよろしくお願いします』と伝えました」

海外移籍で背中を押してくれた人


晴れてFC東京の「18番」の後継者となった時点で、橋本は海外でプレーする、もうひとつの夢を半ば封印している。昨シーズンの前半戦で覚醒を遂げ、瞬く間にスペインへ旅立っていった後輩の久保建英を間近で見ながら、橋本は自らが置かれた現在地に対して、自問自答を繰り返していた。

「海外へ行くには(久保)建英選手のように爆発的な活躍を見せなければと感じていたなかで、自分のプレースタイルはどんどん点を取る感じでもない。ボランチとして海外へ移籍することの難しさを感じていたというか、それこそ日本代表に入らないと絶対に行けないものだと思っていました」

文=藤江直人

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