I study technology disruption in individuals, companies and societies.

Photo by Carl Court/Getty Images

新型コロナウイルス対策のロックダウン(都市封鎖)が始まってからわずか数週間で、実に多くの人たちが公私両方でのビデオ会議の使用に慣れたことは驚きだ。

数週間で驚くほど多くの人が、それまで聞いたこともなかったような無数のアプリケーションをインストールし、デジタル世代のレベルで使いこなせるようになっている。Skype、Zoom、Teams、Webex、Hangouts、Meet、FaceTime、そしてHousepartyなど、現在のビデオ通話テクノロジーは概してシンプルかつ直感的な作りになっているため、ほぼどんな人でも使える。

わずか数週間前までは、ミーティングの開始時には「そちらの声が聞こえません」、「見えません」、「マイクをミュートして」、「画面がボケていますよ」、「聞こえますか?」といったやり取りが頻発していた。ところが今の私たちはビデオ通話にも慣れ、必要ない時に自分のマイクをミュートしたり、あるいは別のツールに切り替えたりといった手順でさえもが日常的になっている。

子どもたちがZoomを通じたオンライン授業で、自分のループ映像をバーチャル背景にしてあたかも集中しているかのように見せかける方法をすぐに会得したことは、なんともほほえましいものだ。今では、おじいちゃんおばあちゃん世代までもがビデオ通話を利用している。

条件が整えば、ある習慣が浸透するまでには数週間もあれば十分だ。そして今、私たちは絶え間ないビデオ会議に嫌気がさしており、中には既に忌み嫌うようになった人もいる。つまり、便利なものも、度を越すと煩わしくなってくるということだ。新しいおもちゃの魅力もあせ始めている。

考えてもみてほしい。ここ1世紀の間、通話は音声のみで事足りている。ビデオは多くの場合不要で、電話やメール、Slackなどのチャットアプリ、書類の共有機能を使ったコミュニケーションのほうがより効率的だ。

正直に言って、相手の顔が見えたところでその体験に何の付加価値も生まれない場合も多い。むしろ、問題が生じたり、会議中に使いたいそれ以外のツールが使いづらくなったりしてしまう。ビデオ会議は、対面式の会議とは異なる。書類を共有したり、プレゼンテーションを通じた話し合いをしたりといった場合を除けば、声だけの通話の方がより迅速かつ生産的だ。

わずか数週間で、それまで経験が全くなかったり、毎回アプリケーションのアップデートが必要なほどの低頻度で利用したりしていた人々が、こぞってビデオ通話を利用するようになった。誤解を避けるために言うと、ビデオは素晴らしいリソースであることは間違いない。顔を突き合わせた実際の会議を、ビデオを使った在宅会議へと変えるという概念の飛躍は理にかなっていると思えるかもしれないが、常にそうとは限らない。

今のやり方を見直す価値はあるだろう。会議に時間の大部分を取られてしまっている場合は特にそうだ。ビデオ会議は効率が良いような満足感を生むかもしれないが、次から次へと一日中ビデオ通話をすることは、ストレスにつながる。インターネットの活用が常に最善のソリューションとは限らない。大根を正宗で切ることはやめよう。

編集=遠藤宗生

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