上阪徹の名言百出

楽天時代の野村克也氏(Photo/Kyodo News/Getty Images)

そんなこと、できるはずがない……。大きな目標が目の前に浮かんできたとき、あるいは自らの憧れを目の前にしたとき、多くの人がそんなふうに考えてしまいがちです。

しかし、何よりもその実現を妨げているのは、自分の考え方なのです。それを取材で教わった1人が、元プロ野球監督の野村克也さんでした。

監督としてリーグ優勝5回、日本一3回、名監督として知られる野村さんですが、実は選手時代も輝かしい実績を残しています。本塁打王は9回、打点王7回、首位打者1回、MVPも5回。通算の本塁打、打点、安打はいずれも歴代プロ野球選手の第2位で、三冠王にも1度輝いています。

しかし、驚くべき事実があります。野村さんは、なんとテスト生としてプロ野球球団に入団しているのです。当時は、テスト生から1軍のレギュラーになった野球選手など、皆無でした。

入団1年目で引退勧告


野村さんは、巨人ファンでした。テスト生の「特権」は、どこでも好きな球団を受けられること。しかし、野村さんは自分の好きな巨人を選びませんでした。新聞配達のアルバイトをしながら、日々新聞をチェックしていて、あることに気づいたからです。

巨人には、甲子園のヒーローから鳴り物入りで入団した若い捕手がいたのです。野村さんとは、ポジションがバッティングしてしまう。「そんなところに入ってもチャンスはない」とすぐに気づいたと言います。

そして野村さんが選んだのが、南海(現ソフトバンク)ホークスでした。レギュラー捕手が、引退まであと数年というベテランでした。「2軍選手をしっかり育ててくれるケチな球団だという評判もあった」と野村さんは笑って話してくれました。

後に監督時代、ID野球、データ野球で野球界を席巻しますが、実は当初から情報をシビアに見つめ、行動を起こしていた人だったのです。そして、「このチーム選択がなければ、後の自分はなかった」と南海ホークス入りを決断します。

ところが、テスト生から入団して、たった1年で引退勧告を受けてしまったのです。野村さんは、その勧告を簡単には受け入れませんでした。まだ試合で使ってもらったこともなかったからです。

納得がいかないと懇願して球団に残してもらいましたが、このときは絶望の淵に追いやられたといいます。窓もない合宿所の3畳の部屋で、将来を考えると不安でした。何しろ、テスト生から1軍のレギュラーになった前例は誰もいなかったのですから。

「でも、可能性はゼロじゃないはずだと思ったんです」

文=上阪 徹

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