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Forbes JAPAN 編集部 編集長


誰もが「もうからない」と口を揃える業界を変えた男


東京・谷中。下町の古い住宅街を抜ける細い路地を歩くと、小さくて目立たない会社がある。それが従業員30人の高山医療機械製作所だ。同社は世界中のトップクラスの脳外科医が愛用する手術器具をつくる。ハサミなど刃類を得意とし、それ以外にもチタン製の脊髄インプラントなど約70種類の手術用器具を35カ国で販売している。

創業は1905年、社長の高山隆志氏は4代目に当たる。こう紹介すると、「どっこい頑張っている下町の職人技」という情緒的な話と思われるかもしれない。

しかし、ポイントはそこではない。高山氏の代で一気に会社をグローバル化させた同社の戦理は、「標準化」である。高山氏が話す。

「僕がこの世界に入った30年前、この業界の人はみんな『もうからない』と言っていたんですよ。でも、本当かなと思いました」

30年前、同社は社員3人で年商3000万円。ちなみに高山氏の高校進学時、「姉が都立高校にいたから、都立より学費が安い国立の東工大の附属を選びました」と言うほど、当時は厳しい環境だったようだ。

「18歳の時、小さな鉗子を一本仕上げると、売上げが5000円になりました。月に150万円の売り上げにはなるから結構もうかるじゃないかと思ったんです。これを工作機械で量産化すれば、もっともうかるし、需要の問題は海外で展開すればいい。西洋医学は日本だけではないので、世界で闘えるはず。そう思いました」


高山医療機械製作所・高山隆志氏

もうからないといわれていた原因は、「そこに市場があるという意識を誰も持っていなかった」からだ。材質や商品の差別化という発想がなく、錆びないものをつくるというくらいの考えしかなかった。つまり、顧客のニーズを取り入れる発想が欠けていた。

のちに高山医療機械製作所の製品が飛躍的に売れていく理由は、次の二つのプロセスを経ていたからだ。

一つは、機械化である。金属加工は複雑な手仕事の世界であり、機械化は不可能といわれていた。彼は23歳の時に「本場のドイツの工場を見て回って、雇ってくれるところがあったら働こう」という気持ちでスイスに隣接するドイツの町に出かけた。ここで、少人数でも機械化されているメーカーを見たことで「これなら日本でも、自分でできる」と思ったという。帰国後、パソコンと工作機械を購入。何百回と失敗しながら、自動工作するプログラムづくりを連夜行った。

こうして複雑な形状の素材を固定する治具を自作できるようになった。機械にできるものは機械に、職人の技は人間に、と分担をさせて量産化に成功したのである。

もう一つのプロセスが試作である。1999年、高山氏が社長に就任した35歳の頃、彼は医師のこんな声を聞く機会があった。「すぐに切れなくなるハサミはダメだ」「もっと長く使えるようにしてほしい」。

「だったら、きちんと熱処理した製品を提供しましょう」と、高山氏は医師に提案した。

彼が振り返る。「執刀医がもつ器具はドイツ製が多く、高い価格で売買されていました。では、執刀医に使ってもらえる器具をつくるにはどうしたらいいか。試作をやるしかないと思い、試作をやりますと広く呼びかけたのです」

当時、どのメーカーも試作をしていなかった。その理由はコストがかかるからだ。手術用器具は少量多品種の世界であり、一つ一つ医者の要望を聞いていたら、手間暇がかかって効率が悪いし、何より採算が合わなくなる。

高山氏が試作を募ると、予想以上に医師からの要望が集まった。そして、非効率という問題を彼は解決していく。

文=藤吉雅春、写真=吉澤健太

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