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会社員、イタリア家庭料理の道をゆく


マリアは、この貴重なブロードに赤ちゃん用の粒パスタを浮かべたものをさっそく息子に与え始めた。ところで残りの鍋は何をつくっているのだろうと、蓋を開けてみる。

「むむ? マリア、こっちの鍋にもブロードが入ってるけど」
「ああ、そっちは大人用のブロード。今日のお昼はトルテッリーニにしようと思って」

やった、トルテッリーニを用意してくれていたなんて! マリア、ありがとうと感極まっている私には目もくれず、息子と戯れるのに夢中のよう。仕方なく、勝手にもうひとつの鍋の蓋を開けると、なにやら肉の煮込みのようだ。いいにおいの元はこれだった。

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トルテッリーニ

「あのー、ねえマリア。この肉の料理は何をつくってるの?」
「フーフー、はい、あーん。まあ、いい食べっぷり! 味がわかるのね! ブラーボ!」
「あの、マリア、鍋で今煮込んでるのは……」

どうやら、私のことなどマリアの眼中にはないようだ。料理のことなら、質問すれば10倍になって答えが返ってきたのに、まるで別人だ。

ピンポーン。玄関のベルが鳴る。

「チャオ、リツコ。ゆっくり休めた?」

やってきたのはマリアそっくりの1人息子、クリスティアーノとその奥さん。

ピンポーン。再びベルが鳴り、マリアの夫カルロとその母であるエンマおばあちゃんがやってきた。

実は、私たちが夫妻の寝室に転がり込んでしまったことで、マリアはリビングのソファに、そしてカルロは階下の実母の部屋に押し出されてしまっていた。なんとも申し訳ない。

「いいんだよ〜。それより日本の赤ちゃんの顔を私にも見せておくれよ」

そう、このアパートには、ここ4階にマリアとカルロ夫妻が、その上にはクリスティアーノの若夫婦が、3階にはおばあちゃんが住み、2階にはおばさんが住んでいる。ワンフロアに2世帯ずつしかないアパートの各階に、必ずファミリーの誰かが住んでいるわけだから、住人の半数を一族で占めている。

キッチンの食卓をお立ち台に、大勢の「観客」に囲まれた息子は、マリアの「チェ・イル・ソーレ!」の掛け声に合わせ、手を叩いたり飛び跳ねたりしている。旅の疲れも、思わず吹き飛ぶ大興奮だ。

「マンマ、落ち着いて! モンドが死んじゃうよ〜」とクリスティアーノに制されるくらい、マリアのテンションも半端ない。

食事は必ず子供が先で大人は後

そうこうしていると、あっという間にお昼の時間。結局、つくり方を見届けられなかったお肉の正体は、ホロホロ鶏のフレッシュポルチーニ煮込みであった。大好きなトルテッリーニをお代わりしたあとでも、するするとお腹に入る。

気になるつくり方を聞きたいところだけど、料理の話題は会話では程遠く、日本の育児事情の質問攻めにあったり、近所の人が「日本人の赤ちゃん見せて〜」とやってきたり、結局、ホロホロ鶏の「ホ」の字も切り出せずじまいだった。

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ホロホロ鶏ポルチーニ煮込み

半日いただけで、なんだかもう何日もこの家にいたかのような密度の濃さだけど、この家での日々は、その後もずっと、本来ならお邪魔虫であるはずのわが息子が生活の中心となった。

文=山中律子

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