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自分自身の育て方

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前回、「人に何を言われようが寄り道をしたっていい。成功を焦らず、達成を求めよう」という話をした。「何がやりたいのか分からない」と批判を浴びることは、それだけ未知の領域にチャレンジしている証拠であり、むしろ可能性に期待してほしい、と。

こんな話を面と向かってすると、たいてい溜め息混じりの反応が返ってくる。

「中竹さんは強いですね。どうしたら周りに左右されない、打たれ強さを鍛えられるのでしょうか」

しかし私は「いや、逆ですよ」と言いたい。私は自分にまったく期待をしていないからだ。なんでも成し遂げられる人間だと思ったことは、一度もない。

 私は、子どもの頃から劣等感の塊だった。小学校低学年の頃は、友達と比べて教科書の文字がうまく読めないことで苦労し(20歳を過ぎてからそれがディスクレシア、読字障害であったことが分かった)、高校で本格的にラグビーを始めた時も「足が遅い」という選手として大きな欠点を抱えていた。監督時代は“日本一オーラのない監督”という名誉ある称号を与えられた。

それらの欠点は、他の長所を伸ばして生かしたり、欠点があるからこそ周りの力を借りたりと発想を変えることで克服してきたわけだが、とにかく私のベースには常に「自分はどうしようもなくできない人間だ」という自己認識があった。

超マイナス評価から始まっているので、ちょっとでも褒められるとうれしい。しかし、それも「今はたまたま褒めてもらえてラッキーだったけれど、また相手の気が変われば評価は下がるだろう」と冷めた心で受け止めていた。

つまり、私は相手の承認や評価をまったく期待しない大人に育った。自分を認めてもらおうと、他人に対して理路整然と説明することにエネルギーを費やすこともしない。立場上それが必要な場面もあるが、認められなかったからといってひどく落ち込むこともない。「そんなもんだ」と受け止め、「さて、どうしようか」と立ち続ける。

「強い自分になりたい」と思うなら、相手に負けじと鎧で武装するのではなく、逆に“何もない、つまり無防備な状態にある自分”になるという戦術を試してみてはいかがだろうか。

自分への過剰な期待を捨てると、すべてをポジティブに受け止められるようになる。たとえ批判であっても、他人から何かリアクションをもらえれば、それは行動のヒントになる。敵対心を剥き出しにする相手をどう巻き込んでいこうか。頭をひねってシナリオを考えるのを楽しめるようになれば、怖いものはなくなる。

さらにいえば、相手の批判を“自分をより深く知る教材”としてとらえてみることを薦めたい。

「この人をこんなに怒らせてしまったのは、自分のどういう部分なのだろう?」「批判の目が向けられているのは今の行動なのだろうか? 過去の行動なのだろうか?」と、相手の目に映る自分を分析してみる。すると、きっと新たな気づきや学びがあるはずだ。

相手の批判の克服法は、その批判をなだめることではない。自分をよく知り、自己成長につなげることだ。あくまで視点を“内向き”にするのがポイントだ。

この視点の切り替えのクセを身につければ、結果として「周りに左右されない打たれ強さ」を鍛えられるのではないだろうか。

連載:自分自身の育て方
過去記事はこちら>>

文=中竹竜二 構成=宮本恵理子

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