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会社員、イタリア家庭料理の道をゆく


「ねえねえ、で、子供の名前はどうするの?」

口をもごもごさせながらクラウディアがさっきの会話の続きを始めた。そんな気の早い……、とあきれるものの、もっとあきれることに実は私の頭の中には、すでにイメージしている名前があった。

「あのね、女の子だったらの話なんだけど…」

「うん、いいわよ。どんな名前よ?言いなさいよ」

「……栗子」

イタリア語に訳した瞬間、クラウディアは大爆笑。涙を浮かべながらお腹をおさえている。そ、そんなに、おかしいだろうか……。

クラウディアは、むせないようにケーキをごくんと慎重に飲み込み、深呼吸してからこう言った。

「いいわ。じゃ、約束よ。栗子を必ずここに連れてくるように。あっ、それから今度はマリートにも会わせてもらわないと。いいわね」

そんな1年前の晩を思い出しながら、海の向こうからやってきたクラウディアからの「伝書栗」を握りしめ、私は密かに決意する。そして、翌年の夏、約束通り、7カ月の子供と夫を連れて、彼女の元へと旅立ったのだ。

離乳食用にフードプロセッサーまで購入して待ち構えてくれていたクラウディアは、「まずは子供の食事が先、大人はその後」と、朝な夕な、柔らかいウサギの肉と野菜で丁寧にダシをとるイタリア式の赤ちゃん食をつくってくれた。

畑仕事から帰って、そのまま夜までずっと子供と遊ぶ役を独占するのはマリオだ。ベビーカーを押して買い物に出れば町の人に囲まれて、リストランテに入れば「ゆっくり食べなよ」と店のおじさんにさらわれて厨房に連れていかれる。



赤子づれの旅は、自分1人の目的を追求すればよかった頃に比べ、物理的にも、時間的にも、何倍もハンデがあるはずなのに、今まで気づかなかったことがたくさん見えてくる気がするのはなぜだろう。

「子供ができたからといって、妨げられることなんか何もない」

あの時のクラウディアの言葉を噛み締めながら、以来、私は毎年欠かさず、イタリア各地へ母子で料理修行に通っている。8歳違いで第2子を妊娠した年も、大きいお腹を抱えて行ってしまったけれど、すでに小学生になっていた長男が荷物持ちで大活躍してくれたものだ。

ちなみに、2人とも男子だったので、残念ながら「栗子」の実現はならなかったが、こうして今でも2人の子供を連れて、老体に鞭を打ってイタリア行きを繰り返しているのは、紛れもなく、クラウディアのせいなのだ。

そんなクラウディアとマリオのその後の人生は、実は、必ずしも平坦なものではないのだが、その続きは、また。いつ訪れてもありのままの姿で私たち親子を迎え入れてくれて、その生き様を以て、実に多くのことを今でも私に教えてくれる彼らの話は尽きることがない。

連載:会社員、イタリア家庭料理の道をゆく
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文・写真=山中律子

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