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資本主義の勝者が“分散”に見た希望

イーサリアムの創業仲間であるヴィタリック・ブテリンやアンソニー・ディ・イオリオと同様、ルービンもカナダで育った。

歯科医の父親と不動産仲介業者の母親を持つ自称「コンピュータ・オタク」は、1980年代半ばにプリンストン大学に進学し、スカッシュに熱中。ルームメートだったマイケル・ノボグラッツは後にヘッジファンド業界でビリオネアとなり、最終的にはルービンと同じくブロックチェーンと暗号通貨に軸足を移すことになる。

電気工学とコンピュータ科学の学位を得て87年に卒業したあと、ルービンはプリンストン大学のロボット研究所で働き始めた。だが結局は金融業界を選び、ゴールドマン・サックスのためにソフトウェアを作ったり、クオンツ・ヘッジファンドの経営で成功したりした。

ルービンのオフィスは9.11テロで倒壊したワールド・トレード・センターからそう遠くない場所にあった。01年のこの悲惨な経験により、続く10年間、彼は世界の現状を大いに悲観することになる。

「我々のためにあると思っていた社会構造がことごとく信じられなくなった。我々の暮らすグローバルな社会や経済が、比喩的にも、現実的にも、道徳的にも破綻したように感じたよ」と、彼は17年5月のイーサリアム・サミットで語っている。

「我々の経済と社会が、ゆっくりとなだれ落ちるように崩壊しつつある。そう私は確信していた」

ルービンはこのとき、2パターンの破滅的結末を予見していた。ひとつは、各国の中央銀行が累積する債務を返済するために通貨価値を下げ、何十年にもわたって成長を停滞させること。もうひとつは、何らかの想定外のできごとが、世界を史上最悪の経済不況に陥れること。ルービンは避難先を探してペルーとエクアドルへ旅までしている。

ルービンがビットコインのホワイトペーパーを読んだのは11年前半のことだった。そしてすぐに気づいた。「分散化はゲームチェンジャーだ」と。

彼はビットコインについて書かれたものを読めるだけ読んだ末に、ヴィタリック・ブテリンと会う。イーサリアムの創造者にして暗号通貨界の神童は、当時まだ19歳だった。

ルービンは最初から関わっていた創業者たちと同じ条件でこのプロジェクトに参画することができた。14年1月にはマイアミで開かれた開業集会にも出席した。同年7月にイーサリアムが1800万ドルのICOを行う間もルービンは中心メンバーの地位にとどまり続け、噂どおりなら、1ドルをはるかに下回る価格で市場に出たイーサを買い集めた。

イーサリアムの創業者チームは、結局はケンカ別れすることになる。ブテリンが技術面に傾注し続けたのに対し、ルービンはイーサリアムを中心とするビジネスの生態系を生み出す計画を練った。


ヴィタリック・ブテリン

文=ジェフ・カフリン、サラ・ハンセン 写真=ティモシー・アーチボルド 翻訳=町田敦夫 編集=杉岡 藍

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