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シネマの女は最後に微笑む

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後のある小学校の様子(1997年撮影、Getty Images)

3月24日、国連の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は、1992~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、大量虐殺の罪などに問われた元セルビア人勢力政治指導者ラドバン・カラジッチ被告に、禁錮40年を言い渡した。

カラジッチ被告は最重要戦犯の一人で、これまでに有罪判決を受けた当時のセルビア幹部の中では、最も高い地位にいた指導者とされる。

7000人以上のイスラム系住民を虐殺した1995年のスレブレニツァ虐殺をはじめ、1万2000人が犠牲になったサラエボ包囲、セルビア系以外の住民を追い出すいわゆる「民族浄化」作戦の指揮など、罪状は10に上った。

旧ユーゴスラビアからの独立を巡ってボシュニャク人、クロアチア人とセルビア人が対立したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、死者20万人、難民・避難民200万人を生み、ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産が横行するなど、第二次世界大戦後最悪の紛争と言われている。

多くの映画の題材となっているが、本連載では『サラエボの花』(ヤスミラ・ジュバニッチ監督、2007)を取り上げよう。

「私のパパはシャヒードよ」

たくさんの女性たちが目を閉じて、歌手の歌声に聴き入っている冒頭シーン。集団セラピーのようだ。その中にいる一人の中年女性にカメラが接近し、ドラマが始まる。

シングルマザーのエスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)は、12歳の娘サラとボスニア・ヘルツェゴビナのアパートに二人暮らし。親子の仲はいいが、政府からの給付金と洋裁のアルバイトの暮らしは楽ではない。サラはボーイッシュで勝ち気な少女。学校でサッカーの最中に男子と喧嘩をし、「私のパパはシャヒード(殉教者)よ」と誇らしげに言う。母から、父はボスニア戦争で戦死したと聞かされているからだ。

ケンカ相手だったサミルという少年も、父親を同じ戦争で亡くしており、似た者同士の二人の距離は徐々に縮まっていく。時々反発し合いながらも、相手が気になってしょうがないというこの年代の初々しさがまぶしい。

ナイトクラブのウェイトレスの仕事にありついたエスマは、夜中、サラを独りにしておくのが心配で、友人に留守番を頼んで働きに出かける。

頭が痛いのは、サラの修学旅行費の捻出問題。シャヒードの子供なら費用は免除になるため、サラは修学旅行に行けるものと信じて疑わない。しかしその話になると、エスマの態度は曖昧だ。友人に金の無心をしたり職場で給料の前借りを頼んだりして、サラの父がシャヒードだという証明書を役所に取りに行こうとはしないのだ。

水商売であることを娘に隠して働くエスマが、職場の控え室で制服に着替える場面がある。胸のかたちがくっきり出てしまうピチピチのブラウスの前合わせに、エスマは落ち着きなく何度も触れる。

肌も露な若いウェイトレスが、男に胸を見せてチップをもらうような店だ。生活のためとは言え、エスマの顔にも佇まいにも、その店の性的に放逸な雰囲気への拒否反応がはっきりと浮かんでいる。

ある時、車で送ってもらったことから、エスマは店の用心棒らしき男と知り合う。ボスニア戦争の時、遺体安置所で父を探したという男は、同じ体験をしたエスマに親近感を抱き、接近してくるようになる。戦争で負った傷の共有が共感へ、共感がほのかな好意へと繋がっていくさまは、サラとサミルの関係と似ている。

文=大野左紀子

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