挑戦する人と挑戦する企業をつなぐ、Forbes JAPAN 初の採用ブランディング




一方で、Freewillの基盤であるSIは、事業会社での就業に比べて業務が限定的で、エンジニアには“敬遠されやすい”領域とされている。本当に自由意志を尊重できる場なのだろうか?

「わざわざ転職せずとも、プロジェクトベースでさまざまな分野の技術に触れられるという点においては、エンジニアにとって最も経験値が上げられる分野だと捉えています。特にうちの会社は、AI(人工知能)やRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)など新しいもの、難易度の高いものであっても、本人が望めば挑める環境がある」

日本社会への絶望から一変、30代で見出した希望

クライアント、社員との信頼関係を主眼に置く麻場。

実は数々の苦い経験が、彼をそうさせた。世界周遊したのち、日本に帰国、映像クリエイターを目指していた頃には「若者の夢を食い物にした怪物」から次々と襲われ、文無しとなった。

クリエイターになる夢に区切りをつけ、ブルガリアを拠点に貿易業を始めたのは23歳。軌道に乗ろうとしていたある日、日本にいる出資者からの送金が途絶え、従業員に給料を支払えなくなった。「この貧しい国では、彼らのみならず、家族まで路頭に迷わせてしまう」――お金よりも何よりも命の重さを感じた麻場は、出資者との関係を解消し、即座に会社をたたんだ。スタートしてからわずか4年での出来事だった。

「それから、日本でサラリーマンとして働くことになったんですが、なかなか自分を使いこなせる経営者に巡り合えなくて。早くて半年、長くて2年で辞めて転職、その繰り返しでした。とりわけ、縦割り社会には馴染めなかった」

いっそ、アメリカに逃げてしまいたい。藁をもすがる思いで応募したのが、シリコンバレーに本拠地を構える天野の会社だった。その二次面接で、麻場は会長である天野と出会うことになる。2007年のことだ。

「天野が日本に滞在する期間は年に40日ぐらい。しかも、それまで採用面接に同席することは一切なく、僕が初めてのケースだったようです。第一印象は、アメリカ界隈によくいるような、胡散臭い日本人(笑)。すぐに信用する気持ちにはなれなかった。“Eビザが取得できる”という旨味がなければ、果たして入社していたかどうか……」

しかし、ジョインすると、意外にも社風が肌に合う。麻場は水を得た魚のように、目を見張るような営業成果を作り上げ、23万円でスタートした給与が、翌年には60万円を超えた。一方、天野との距離は縮まることはなかった。

そうして迎えた入社2年目。アメリカ出張でその疑念は“共鳴”へと変わった。

「その華やかな人脈を目の当たりにした時、“真のビジネスマンだ”と直感しました。天野は、米日カウンシル(太平洋両岸のビジネスリーダーたちが所属する公益財団法人)に加盟し、そこでのステイタスも上位。そうなると、拓ける世界が全く変わってくるんですよね。

企業視察の際に偶発したディベートでの発言力にも舌を巻きました。将来のソーシャルメディアについて、20代のグーグル社員と対等に議論を交わす50代の天野――圧巻の一言でした」

信頼できる恩師の下、グローバル視点で力を発揮できる環境。30代に差し掛かり、麻場はようやく日本での居場所を見つけたのだった。

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