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共に、生きる──社会的養護の窓から見る


児童虐待をめぐる熱狂のあとで

「児童福祉司が必要だ、増やせ」と言うのは簡単だ。政治に働きかけ、予算を取ることもとても大切だ。でも、予算をつけて、政治に働きかければ、その後は誰かが魔法のように児童福祉司を増やしてくれるわけではない。だからこそ私たちは、しっかりとその後の国や行政の動きを追わなければならない。

多くの人たちが、子どもが亡くなり、事件化することで、ようやくそこに虐待があったことを知るだろう。幼い子どもが犠牲になることに胸を痛めた人たちの義憤は高まり、何かしなくては、という気持ちをかき立てる。ただ、強烈な感情に突き動かされたアクションは、スピード感を持って物事を変えていく大きな力を持つ一方で、どこか熱狂に加わっている感覚で、継続して関心を寄せることは難しい。

これは、私たちが、熱しやすく冷めやすい(忘れやすい)世論の姿をこれまで幾度となく目にしてきたことからも明らかだ。

亡くなるまで至らなくても、事件にならなくても、裸足で外に出される子も、殴られる子も、万引きさせられる子も、ごはんを食べさせてもらえない子も、毎日、毎日、まだ生きて、どこかで息を潜めている。過酷な状況のなか生き抜いている子がたくさんいることを、どうか覚えていてほしい。

そしてまた、せっかく虐待を生き抜いて大人になっても、子ども時代に愛情をもって育まれなかったことが、その人をとても生きにくいものとする。死ななかったからよし、保護されたからよし、ではない。“かつて結愛ちゃんだった”子どもや大人は、いまも数えきれないほど存在している。

人々の熱狂が冷めた後も、変わらず闘っている福祉の現場がある。

虐待の傷を抱えた子どもたちの生活を支える児童養護施設など児童福祉施設や自治体の子ども家庭支援センター、私がスタッフをしている「アフターケア」を担う事業所もそのひとつだろう。そして、児童虐待相談対応件数が13万3千件を超え、また過去最高を記録してしまった児相も、もちろんそうだ。

児相の業務の中身や、児童福祉司一人ひとりの資質などについて、忸怩たる思いを抱える子どもの支援者は少なくない。今回、これを書くにあたって、児相を一方的に賞賛していると取られてしまいかねないことを危惧しつつも、それでも、やはり児童福祉司はいまよりもっと増えなければならない。

また、あれほど多くの人が、「児童福祉司を増やすべきだ」と言っていたにもかかわらず、いざ児童福祉司の募集が始まったときに目を向ける人が少ないのは、残念でもあり、おかしくも感じる。

地味な情報かもしれないが、経験と志、愛のある人に届きますように。そして願わくば、2022年度までに本当に2000人の児童福祉司が増やされ、彼らが息をひそめている子どもたちを見つけ、一人ひとりに丁寧な対応を取ってくれることを切に願う。

連載:共に、生きる──社会的養護の窓から見る
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文=矢嶋桃子

レビデルマツダ
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